悪口は、言葉でなく、誰かを劣った存在として取り扱う時に生じる―和泉悠『悪口ってなんだろう』武田 砂鉄による書評
たとえば、「毎日新聞は読売新聞よりも発行部数が少ない」という文章は悪口だろうか。事実なので悪口ではない。では、「だから、毎日新聞は読売新聞よりも発行部数が少ないんだよ」ではどうか。その前の文章や発言を想像すると、おそらく悪口なのだろう。 どこからが悪口になるのかを規定するのは難しい。「あんな部長辞めろ!」と酒場で言えば悪口だし、「部長、辞めてください!」と会議で言えば、勇敢な存在になる。 『悪口ってなんだろう』(和泉悠著・ちくまプリマー新書・880円)はまず、「悪口とは『誰かと比較して人を劣った存在だと言うこと』です」と定義する。悪口になってしまう言葉とは何なのかと考えがちだが、同じ「バカじゃないの?」でも、電車を寝過ごしてしまった後で親友から言われるのと、学校の先生から授業中に言われるのではまったく違う。悪口は、言葉でなく、誰かを劣った存在として取り扱う時に生じるのだ。 「~さんは悩みがなくていいですね!」のように、褒める言葉でも悪口になる。著者は「悪口はイコライザーとして使っていくべきです」と書く。イコライザーとは「イコールにする」との意味。政治権力が民衆を力でねじ伏せようとする。「政治家は本質的に市民と同じランクの人物であり、代表するという役割を持っているだけです」。確かにその通り。だから、厳しい言葉を向ければいい。悪口でイコールにするのだ。 このところ、批判・批評・指摘などが「悪口」と一緒くたにされ、そういうのはよくないよ、と話をまとめられてしまう光景に立ち会う。異議申し立てには様々な事情や意図があるのに、勝手に用意した「悪口」の箱に詰め込んで処理しようとする。 誰かの意見を、それって悪口だよね、と急いで片付けようとする動きこそ、悪口の力を悪用しているのではないか。「悪質な悪口とそれ以外の線引きが本質的に難しい」と述べるように、そう簡単に決められるものではないはず。この地点に立ち返らせてくれる。 [書き手] 武田 砂鉄 1982 年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年秋よりフリーライターに。 著書に『紋切型社会』(朝日出版社、2015年、第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『芸能人寛容論』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』などがある。 [書籍情報]『悪口ってなんだろう』 著者:和泉 悠 / 出版社:筑摩書房 / 発売日:2023年08月7日 / ISBN:448068459X 毎日新聞 2023年10月7日掲載
武田 砂鉄
【関連記事】
- ハライチの「陰に隠れがちな方」が綴った、軽やかなのに不穏なエッセー集―岩井 勇気『僕の人生には事件が起きない』武田 砂鉄による書評
- 丁寧な解説と豊富な用例の引用により、複雑極まりない音声表記の歴史をより身近なものに―釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか-「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』張 競による書評
- 万葉集、古事記と格闘、神話に遡る共通の民族の記憶を紡ぎだした国学者の巨人たち―今野真二『日本とは何か――日本語の始源の姿を追った国学者たち』橋爪 大三郎による書評
- 「絶対に押すなよ」をAIは理解できるか?日常言語の謎―川添 愛『言語学バーリ・トゥード: Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』沼野 充義による書評
- アメリカがレ・ミゼラブルの国から脱することは可能なのだろうか?―ニコラス・D・クリストフ他『絶望死』、田中克彦『ことばは国家を超える』―鹿島 茂による読書日記