「13歳の時、ヒッチハイクで行為を覚えた」…米合法風俗の「伝説の娼婦」の壮絶な人生
アメリカ50州のうちネバダのみで、経営が法的に認められている売春宿「Ranch」。1971年に合法化され、以後、客にも娼婦にもHIV感染者を一人も出すことなく歴史を刻んできた。今日、同州には19のRANCHが存在する。 【写真】アメリカ合法風俗の“伝説”と呼ばれた女性の姿 前編『「合計1000万ドルを稼いだ」…アメリカ合法風俗の“伝説”が告白する壮絶な人生』で見たように、Ranchの一つ「Chicken Ranch」で働くエアフォース・エミーは米国セックス産業の第一人者として知られる。 大手ケーブルTV局のHBOが、2000年代にネバダ州北部のRanchに関するドキュメンタリーを作成し、番組内で名を売った。同番組は人気を博し、続編が作られる。エミーは全米中に知られる陽気な娼婦となった。
トラックドライバーにお願いして全米を回った
「幼い頃、私はバレリーナになりたかったの。でも、背が足りなくて諦めるしかなかった」 エミーが公表する身長は160cmだ。かなり高いヒールを履いていたが、それでも同数字には及ばないように感じた。 「私、13歳で家を出たの。家が堅苦しくてね。父も兄たちも生真面目だった。タバコを吸ってみたかったし、自由が欲しかった。中学が嫌いで、サボりがちになった。仲の良い女友人が一人だけいてね。一緒に『もう学校はいい。自分で生きていこう』って語り合って、タバコと酒を嗜んでいた。成績はオールFだった。ヒッチハイキングしながら、全米中を回ったのよ。トラックドライバーにお願いしてね」 体を売る行為はその年で覚えた。 「トラックドライバーにブロージョブ(フェラチオ)はいかが?」って声を掛けて、乗せてもらった。で、それがお金になることを知った。もちろん、セックスも。当時の値段で100~120ドルになった。40数年前での値段よ。3~4年そんな生活を送って、逮捕された。更生の道として19歳でエアフォースに入ったの」 エミーは、問わず語りに捲し立てた。 「空軍では車の免許もないのに、ジープ、軍で一番大きなトラックと、なんでも運転した。フィリピンに配属された時、車のライセンスがもらえた(笑)。エアーフォースって言っても、飛行機の操縦は任されなかった。やがてラスベガス勤務になった。5年弱の在籍後に除隊して、どうしようかと考えた時、思い起こしたのがRanchだったの。トラックで全米中を移動していた10代のある日、ハイウェイ80でネバダ州北部を走っていたら、Mustang Ranchを見掛けた。 トラックドライバーに『ここは何?』って訊いたら、『100人もの美女がいる宮殿だ』って教えられて、『へー、ここで働いてみたいな』って思った。危険も無いって話だったしね。だからエアフォースを去った後、Mustang Ranchに向かった。それ以来34年以上、この業界で働いている」