「13歳の時、ヒッチハイクで行為を覚えた」…米合法風俗の「伝説の娼婦」の壮絶な人生
睡眠、セックス、酒の繰り返し
娼婦として全米中に名を売ったエミーだが、新人時代から順調だったわけではない。 「23歳でこの世界に入った時は、色んなルールがあって怯えたわ。それプラス、私、アルコールが止められなかったの。睡眠、セックス、そして酒を飲む、の繰り返しだった。施設に入っていたような感覚だったわ。 振り返れば楽しかったし、幸せだったけどね。私、人が好きなの。だからお客さんとのコミュニケーションに、物凄い喜びを覚える。他者に悩まされることも無かったな。苦がなく、まるでバケーションのような生活だった」 彼女が発した「色んなルール」とは、客が払うカネの50パーセントがRanchの取り分、残りの半分が自分のギャラとなることや、性病に罹っていないかどうかの検査を月に一度受けること、カスタマーに個人の連絡先を教えてはいけないこと、時間を厳守することなどが挙げられる。 「複数のRanchを渡り歩いたけれど、お酒ばかり飲んでいたから、2度、解雇されているのよ」 彼女は体をゆすって笑いながら、告げた。 「繁忙期のMustang Ranchは、1日に500人ものお客さんがやってくる。それに対して、50名の女の子が3つのシフトで待ち構える。私は最高、20人を相手にしたわよ」 言葉を失う筆者に向かって、エミーは話し続けた。 「1991年から1995の間は、1日に20人くらいのお客さんを相手にしていた。少ない日でも10名は下らなかった。引退間近になった今は、月に5~7人ってところね。あと1年で辞めるつもり。もう、おカネにならないしね……。 今の年収は、40万ドルってところかな。指名してくるクライアントばかりよ。Chicken Ranchでは去年の11月から働いている」
引退したら自分の半生をまとめた本を出したい
なぜ、彼女はトップを獲れたのか。 「他者に喜びを感じてほしいという考えがベースにある。人生の目的と呼んでいい。だから会いにくる人に、いつも自信を持たせたいの。自分のペニスが勃たない。家庭内でセックスを拒絶される。シャイだ。あるいは、異性に全く相手にされない……というタイプも少なくない。 私は彼らに対して、『あなたはSo Goodよ!』『素敵ね』『素晴らしいわ!!』って、褒め続ける。それが私のやり方。褒められた経験がほとんど無い人にしてみたら、嬉しいじゃない。こちらも楽しみたいし、ポジティブな言葉が良い空間を作り出すでしょう。 カスタマーに満足感を味わって頂くことが肝心ね。だからこそ100万ドル稼げるようになった」 その考えに辿り着くまでには、時間を要した。 「この業界に入ってから最初の10年間は、とにかく労働の対価を払ってもらうんだと、そればかりを考えていた。他の子には絶対に負けないぞと思っていたし、ビジネス重視だった。でも、得たカネなんて、いつの間にかアルコールに消えていた。そのうちライバルとの競争ではなく、お客さんとの精神的な結びつきが大事だと理解した。時間をかけて、肝心なことを学んだのよ。 新人だった23歳の時は全然垢抜けてなかったし、自分にプライドも持てなかった。ドラッグディーラーと変わらない仕事だって感じていた時期もある。世間的にも売春婦とドラッグディーラーって、大差ないように見えるでしょ。 巷には非合法の娼婦だって、いくらでもいるしね。2000 年にHBOが撮影に来て、やがてちゃんとした番組になり、人気も出て誇りを持てた。35歳の時、意識が変わったな」 エアフォース・エミーは確かに会話が面白く、バイタリティを感じさせた。 「引退したら、自分の半生を文章にまとめ、本として出版する。またTVにも出たいし、YouTubeやポットキャストにも力を注いでいく。やりたいことは山ほどあるわ」 トップとなるには、試行錯誤を重ねたうえで唯一無二の存在にならねばならない。どのビジネスでも、同じなのだ。 「今日もいい仕事をするわよ!」と、自分の部屋に消えて行く彼女の後ろ姿が印象的だった。
林 壮一(ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属)