「全てわからせる必要はない」映画監督・黒沢清、脚本制作で意識することーー自著『Cloud Book』を語る
◼️まず"大きな構造"を学ぶべし「プロットを完成させるのが最重要項目」 ――先ほどお話に挙がったように「柱」があったり、セリフとト書きで構成されているものですから読む側にもある種の技術が要りますよね。レイアウトも独特ですし。 僕も漫然と伝統的な書き方に沿っていますが、もちろんあの通りである必要はありません。僕の知っている限りだと、伊丹十三さんの脚本は柱もト書きもセリフも全部一直線に揃っています。どれがどれかはパッと見わかりづらいのですが、読み物としては読みやすいのです。そうした工夫をされている方もいらっしゃいます。 ――国内外の脚本を兼任される監督にお話を伺うと、例えばプロデューサーなどに「わかりづらい」と言われてしまうご苦労を抱えている方が多いなという気がします。 僕の場合は「何がわかりづらいのか」をよく確かめるのと、「それは本当にわかる必要があるんだろうか」ということは真剣に考えます。『Cloud』の場合はありませんでしたが、「主人公が次のシーンでなんでこんなことをするのかよくわからない」と言われることは結構あります。 そういう時に「何かが足りていないのかもしれない」と反省する場合もありますが、わからないから面白い場合も当然あります。これまで、「どうして罪を犯すのか動機が全然わからない」と言われることもありましたが、わからせる必要がないこともあると思います。例えばヒット作『羊たちの沈黙』の中で、レクター博士の犯罪の動機は描かれていませんよね。それが面白いんです…なんて、ハリウッド映画を例に出して「動機を描いていなくても十分面白い娯楽映画はたくさんあります」と説明して、切り抜けてきました。 ――黒沢監督が「この脚本は面白い!」と思う作品には、どのようなものがあるのでしょう。 脚本というよりも「プロット(作品の概要を数ページにまとめた脚本の前段階)」という方が僕にはピンとくるのですが、「本当によくこの構造を思いついたな」と思うのは『ローマの休日』です。 多くの人は本作を「王女様が自分の身分を隠してローマでひと時の冒険を愉しむロマンチックな話」と説明するでしょうし、それが売りかとは思いますが、あの作品は同時に「ジャーナリストが自分の身分を隠す」物語でもあります。遊んでいる王女の記事をすっぱ抜くために、身分を隠して近づく話であり、実はそちらがメインなんですよね。王女が身分を隠す話から、ジャーナリストが身分を隠す話によくぞスライドさせたなと、本当に見事なプロットと感じました。ちなみに、本作の脚本を読んだことはありませんが。 ――非常に共感します。お互いに身分を隠しているからこそ、ラストの視線の交わし合いがとても感動的なものになっていると感じます。 そうですよね。大体面白い映画、不朽の名作と呼ばれるものは当然脚本も優れているものばかりと感じます。僕自身、面白い!と思う作品に対してプロットが素晴らしいのだろうなと思う時はあれど、脚本・映像・俳優のここが良いから面白いのだ、と切り取って観ているわけではありません。海外の作品ですと字幕で観るわけですから細かいセリフに関してはわかりませんしね。 きっと皆さんもそうでしょうが、「よくぞこの構造を思いついた!」というのは映画を観ていればわかるものでしょうから、そこが映画を志す人の第一歩だという気はします。脚本うんぬんよりもまずは「大きな構造を学ぶこと」――これは後々の脚本作りにもきっと役に立つかと思います。僕自身、最も時間がかかるのはやはりプロット作りです。これで脚本になるな、というプロットにたどり着くまでが一番大変ですね。細かいセリフなど、最終的には色々と詰めなくてはいけませんが、特にオリジナルにおいては「このプロットで行ける」というものが見つからない限りいつまで経っても先に進めませんから。自分にとっては、プロットを完成させるのが最重要項目になります。 ◼️整合性が取れていれば、分からせなくても「自信を持っていい」 ――先ほどの「動機のわからなさ」は『CURE』から『Cloud』に至るまで、黒沢監督が一貫して描き続けてきたものかと思います。同時に「全てをわからせなくていい」は、脚本を書かれる方にとって救われるものではないでしょうか。 これもプロットの問題かと思いますが、ある出来事が起きてこうなって終わる――というものを2時間くらいで描くなかで、わかることは少ないのです。最初から全部わからせようがないわけですから、整合性はちゃんと取りつつも「こことここさえわかっていれば後は必要ない」と思い切ることが重要な気がします。その判断がなかなか難しいところなのですが、「あとは気になるかもしれないけれどわかりません」と提示してしまうことは決して悪いことではありません。むしろ描かれていないことに観客が関心をもってくれた方が作品としては面白いわけですから。 ――観客の解釈や考察の余地が広がるといいますか。 そうですね。ですので、そこは自信を持っていいのではないかと思います。でたらめを書くのではなく「ここはわからせません」と決めてプロットを作っていくことが、面白い映画を目指す一番真っ当な道だと信じています。
SYO