「ベンツ一台」の高級品がゴロゴロある…激安で墓石引き取り供養する「墓石の墓場」で発見したモザイクアート
■アスファルトの下地や建設資材、鉄道の敷石に転用 ここで「墓じまい」の流れを説明しよう。まず、菩提寺の住職が「性根(魂)抜き」の儀式をする必要がある。性根抜きを実施しないと、心理的な抵抗感が生まれ、石材業者が撤去を拒否することがある。儀式を済ませた上で、遺骨や土葬遺体を取り出す。東京や東日本の多くの地域では、骨壺ごとカロート(納骨室)に安置していることが多く、そのまま取り出せばよいので簡単だ。 だが、関西地方などでは遺骨を骨壺からざらっと出して、納骨することが多い。したがって、遺骨が「土」に還っていることもある。遺骨が残っていない場合には、「一握の土」を遺骨替わりにする。 厄介なのは、土葬墓である。地方都市や離島などでは、土葬墓が現存していることがある。長方形の広めの区画で、古い墓石が傾いているようなケースは土葬墓である可能性がある。 この場合は重機で3メートルほど掘り返し、遺骨が残っていれば回収する。比較的、遺体が残りやすいアルカリ性の土壌だと、頭蓋骨に髪の毛が残っていたり、遺体が死蝋化していたりすることも。土葬遺体は、改めて火葬することになる。遺骨が残っていない場合は、やはり、墓地区画の土を「遺骨」に替えて、一握り取る。 遺骨を取り出した後に、墓石を撤去する。墓碑銘が書かれた竿石や霊標、竿石を支える台石、カロート、区画を囲んでいる巻石、卒塔婆立てなどを取り外し、更地に戻す。 通常、撤去された石は石材業者が、産廃業者へと渡す。多くは砕いて、アスファルトの下地や建設資材として再利用される。かつては鉄道の敷石にされたケースもあった。ご先祖様の魂が眠っていた墓が、道路や鉄道などのインフラに転用されているとは、知る由もない事実だろう。 だが、「粉砕されるのは忍びない」として、墓石を引き取って供養する寺院があるという。現地を取材した。
■墓石を引き取って供養する「墓石の墓場」で発見したもの 広島県福山市街地から山道を車で走らせること40分。カーブを曲がると大量の墓石でできた「山」が、視界に飛び込んできた。ここが関西や中国地方一円から運び込まれてくる、墓石の安置場である。 1万平方メートルもの広大な敷地に8万基以上も置かれているという。墓石は縦に隙間なく、ギッシリと積まれている。上部から眺めれば、モザイクアートのようにも見える。ところどころ、大きなオベリスク型の墓が突き立っているが、これは近代における戦争で英霊となった軍人の墓である。 「天保(1830~44年)」「安政(1854~60年)」といった江戸時代の墓から、十字架がついたキリスト教式の墓、石仏、巨大な合祀型永代供養墓など、ありとあらゆる墓石が眠っている。高級石材の庵治石の墓は新規で建立しようものならベンツ1台分くらいはする代物だが、ここにはゴロゴロとある。いわば「墓石の墓場」である。 驚くことに「令和六年一月三十日寂」と彫られた霊標もあった。わずか1年前に納骨された墓が、早くも墓じまいされているのだ。どういう事情があったのかは分からないが、気分が重くなった。 この墓石安置所を作ったのが、福山市内にある天台寺門宗の不動院である。知り合いから「墓石を置く場所がない」との相談を受けた住職の三島覚道さんが、2001(平成13)年から墓石の受け入れを始めた。 「人を祀っていた墓石が機械で割られていくのが忍びない。宗教を問わず、うちで引き取って供養したい」(三島さん) 不動院が受け入れを始めると、瞬く間に噂が広がり、遠くは東北からも業者が墓石を持ってくるようになった。トレーラーでまとめて100基以上も積んでくる業者も珍しくはない。個人で運んでくる人もいる。過去には廃寺になった寺院の墓石が、まとめて持ち込まれたこともあったという。 安置料は、大きさにかかわらず1基あたり2500円と格安だ。安置所に置かれるのは、墓碑銘が書かれた竿石だけ。台石や巻石は敷地内で粉砕され、竿石を支える基礎の砂利として利用される。 安置場が眺められる場所に、供養塔と地蔵菩薩が立てられ、定期的に三島さんが読経をしている。たまに、墓石の持ち主が、花と線香を供えにやってくることもあるが「心苦しいが、持ち主の墓石を探すことは不可能」(不動院)という。