水上恒司は“とんでもないところ”まで行く! 『ブギウギ』で任される大きな役割とは?
「俳優・水上恒司はとんでもないところまで行くのだろうな……」と、朝ドラ『ブギウギ』(NHK総合)の第51話を観ていて思った。そう、水上が演じる村山愛助の初登場回であるーー。 【写真】水上恒司インタビュー撮り下ろしカット 本作において彼が果たしてくれそうな役割について考察しつつ、「水上恒司はとんでもないところまで行く」と感じた理由をここに記してみたい。 村山愛助とは、大阪にある日本随一の演芸会社・村山興業の御曹司だ。彼はヒロイン・スズ子(趣里)の大ファンであり、やがて互いに引かれ合っていくことになる。番組公式サイトには、“さまざまな逆境を二人で乗り越え、スズ子の人生に大きな影響を与える運命の相手。”と記されている。これからの『ブギウギ』における最重要人物であることは間違いない。 劇中の時代は戦争の真っただ中だ。スズ子は自身の楽団を立ち上げ仲間にも恵まれたが、時代が時代なだけにこれからどうなるのか分からない。母・ツヤ(水川あさみ)は病で亡くなり、愛する弟・六郎(黒崎煌代)は戦死した。父・梅吉(柳葉敏郎)はどうにか立ち直ってくれたが、それでもやはりどうなるか分からない。そんな時代に、スズ子はエンターテインメントの力で対抗しようとしているのだ。 スズ子のモデルは笠置シヅ子という実在した昭和の大スター。いっぽう、愛助は大演芸会社の御曹司だ。史実を抜きにしても、彼とスズ子がどのような手の取り方をしていくのかは容易に想像できるだろう。これを主演の趣里とともに水上がどう表現していくのかが今後の本作のカギとなる。ひとつ目の大きな役割だ。 もうひとつの役割は、スズ子の喪失感を埋めるような存在になるのだろうということ。第51話では愛助のはにかんだ笑顔が、六郎の無邪気な笑顔と重なる演出がなされていた。六郎を失ったことに打ちひしがれていたのはスズ子だけではない。私たちだってそうだろう。それほどまでにチャーミングなキャラクターを新人俳優の黒崎煌代は作り上げていた。生真面目で不器用そうなところのある愛助もまた、チャーミングに映るキャラクターだ。『ブギウギ』の欠けたピースを埋めることも水上の役割である。 本作の公式ガイド『連続テレビ小説 ブギウギ Part1』(NHK出版)にて水上は、「愛助を演じるうえで考えたのは、“スズ子にとって最愛の人をどう作っていくか”です。スズ子のことをいちばんに応援する愛助は、彼女の最愛の男性であり、生きていくうえでの原動力でもあります。大スターである福来スズ子が、生涯その人しか愛せなかったというくらいの男ですから、愛助ならこんなときどうするだろうと、いろいろ考えてお芝居に取り組む毎日を送っています」と述べている。たしかにこの村山愛助という人物は、広く多角的な視点から演じなければならないものなのだろう。物語の途中からの最重要人物の登場だというわけで、これにより作品の手触りは変わってくる。すでに記したふたつの大きな役割以外にも、水上が担わなければならないものはいくつもあるのだ。 さて、そんな大役を任された水上だが、デビュー作『中学聖日記』(TBS系)からの俳優としてのキャリアはまだ5年しかない。同作では担任教師に恋をする中学生の役に扮し、まだ社会のことをほとんど知らない青年の純真無垢な真っ直ぐさが、まだ特別な技術を持たない水上の瑞々しい演技とマッチしていた。彼以外にあの役を演じられた俳優は思いつかない。 そしてこの5年のうちに水上は、『MIU404』(TBS系)や『望み』(2020年)、NHK大河ドラマ『青天を衝け』、『そして、バトンは渡された』(2021年)、月9ドラマ『真夏のシンデレラ』(フジテレビ系)などなど、いくつもの話題作に主要な役どころで出演し、着実にキャリアを重ねてきた。そしていまでは『死刑にいたる病』(2022年)や『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(2023年)で主演俳優として堂々と作品の看板を背負えるレベルにまでになった。もうそこにはかつての瑞々しさはない。 けれども『ブギウギ』での初登場シーンを目にした際、またかつてのあの瑞々しさを感じた。これは水上の技術によるものなのだろうか。それとも初の朝ドラの現場で初心にかえることができたのだろうか。それは今後の展開を追わなければ見えてこない。先述した公式ガイドにて水上は、愛助の軸にあるのは「スズ子への愛」だと語っている。これをどう体現し、“水上恒司=村山愛助”はどう変化していくのか。これしだいで「水上恒司はとんでもないところまで行く」のだ。
折田侑駿