岩崎なおあき 師匠・妹尾和夫が落とした思い出のカミナリ
岩崎なおあき 師匠・妹尾和夫が落とした思い出のカミナリ THEPAGE大阪
「プロの笑いのレベルに近づきたい」そう語るのは、大阪の劇団パロディフライに所属し、ラジオのパーソナリティで活躍する岩崎なおあき(48)だ。かつては「ざまぁKANKAN!」や「OBCブンブンリクエスト」に出演し、近年では「とんねるずのみなさんのおかげでした」内のコーナー「博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~」でプロ野球・日本ハムの栗山英樹監督のモノマネで注目を浴びるなどした。そんな岩崎だが「20代で売れるぞと思って30代で壁にぶち当たっていろいろありました」と人生を振り返る。
コントコース受講できずも俳優コースで運命の出会い
愛知県名古屋市出身。父親の仕事の転勤の関係で小学校の時に大阪府豊中市、兵庫県尼崎市へと転校した。高校卒業と同時に「人前でなにか表現できる仕事に就きたい」と思い希望したのはお笑い芸人だった。 「けど、当時、お弟子さんになったり、養成所に入るという発想がなかったんです。そんな時、父親が『こんなタレント学校が新設されるぞ』と言ってきてくれて、そこに入ったんです」 お笑い芸人志望だったため、希望したのは「コントコース」。だが、そのコースは人気がなく開講されず、俳優・DJコースへ通うことに。思ってもない事態だったが、そこで運命の出会いが待っていた。それは同コース講師陣の中に、現在、岩崎が所属する劇団の主宰で、俳優・ラジオパーソナリティで活躍する妹尾和夫がいたことだった。 授業を通しで出会ったわけだが、この出会いは、後の岩崎の人生に大きな転機をもたらすことになる。
ざまKAN!に出演も、師匠妹尾が愛情のカミナリ
学校で学んだ後、漫才師としてスタートを切るも、メンバー交代などを繰り返しピン芸人として活動していた。そんな中、テレビの仕事が舞い込んできた。 当時、関西の夕方に放送されていた森脇健児・山田雅人が司会の「ざまぁKANKAN!」出演のチャンスをモノにした。「『メケノハカマカ』っていって、ギャグをやっておもろかったら花のレイがかけられ、おもろなかったらパイが投げられるコーナーを担当してました」 当時、若者に大人気の番組で名も知れ渡り、うれしくて師匠である妹尾に番組を録画したビデオを持っていった。しかし、そこで、妹尾から思わぬカミナリを落とされた。 「楽屋で兄さん姉さんという呼び方にワクワクして、芸人の仲間になれたと勘違いしてたんですよね。『新人でなんもできもせんのに、本番前からわちゃわちゃしゃべるな』とか、そんな感じで座長(妹尾)に怒られたのは今でも覚えています」と振り返る。 そのカミナリを落とした張本人、妹尾に当時のことを聞くと「放送のビデオをみて、岩崎がほかの芸人をにらみつけてるのが映ってたんで『いくらライバルでも本番では仲間やろ、しょーもない芸人になるな』と怒りました。天狗になってたからね(笑)アイツにカミナリ落としたのはそれくらいかな」と笑顔で振り返った。 妹尾自身、若いころに「お笑いスター誕生!!」で銀賞を受賞するなど様々な分野で場数を踏んできた。その時に経験してきたからこそ、岩崎にその世界の厳しさを知ってほしいという愛情の裏返しでもあった。 後に、岩崎は当時所属事務所は違ったが、妹尾が同劇団を立ち上げた際のメンバーに加わることになる。岩崎は改めてつぶやく「もし座長と会わなかったら今の自分はありませんし、それ以来、注意された点はずっと守っています」と。