坂東巳之助、主人公を演じる『ゆうれい貸屋』舞台裏話【令和を駆ける“かぶき者”たち】
江戸時代の初期に“傾奇者(かぶきもの)”たちが歌舞伎の原型を創り上げたように、令和の今も花形俳優たちが歌舞伎の未来のために奮闘している。そんな彼らの歌舞伎に対する熱い思いを、舞台での美しい姿を切り取った撮り下ろし写真とともにお届けする。ナビゲーターは歌舞伎案内人、山下シオン 【撮りおろし写真】坂東巳之助の『ゆうれい貸屋』
「納涼歌舞伎」は1990年に十八世中村勘三郎(当時勘九郎)と巳之助さんの父である十世坂東三津五郎(当時八十助)が中心となって始まり、今なお夏の風物詩として楽しまれている。今年の第一部では坂東巳之助さんが『ゆうれい貸屋』で主人公の桶職弥六を演じる。 この作品は山本周五郎が風々亭一迷のペンネームで発表した同じ題名の小説を原作として、1959年に明治座で初演され、2007年歌舞伎座と2012年大阪松竹座で再演されたときには十世三津五郎が同じ桶職弥六を演じた。 幽霊を貸すという奇想天外な物語は、働くのが嫌で仕事をせずに酒浸りになっている弥六を女房のお兼が家主の平作とともに真人間にしようと考え、お兼が家を出るところから始まる。一人でだらだらと過ごしている弥六の前に、恨みを抱いていて成仏できない幽霊の染次が現れ、弥六を見初めた染次は女房にしてほしいと頼み、一緒に暮らすことになる。染次は、店賃を払うために幽霊を貸して人の恨みを晴らすという商売を提案し、幽霊仲間を呼び集めて“ゆうれい貸屋”を始める。そして商売は大繁盛するのだが、幽霊の一人、紙屑屋の幽霊・又蔵が言った「人は何事も生きている内だ」という言葉に気づきを得た弥六は……。 父が演じた弥六に挑む巳之助さんに、その心境や作品の見どころなどについて聞いた。 ──『ゆうれい貸屋』はお父様(十世坂東三津五郎)に縁のある作品ですが、実際にその舞台をご覧になって覚えていらっしゃることがあれば教えてください。 巳之助:父が演ったのも2007年の八月納涼歌舞伎の時で、すごく夏らしくてわかりやすい筋立てなので、面白いお芝居だなと思いました。1961年以来、上演されていない作品だったので、面白いものを見つけてきたなという印象でした。上演時間や、夏から秋口を描くという作品内の時間経過、幽霊が出てくるという点など、今改めて考えてみても、納涼歌舞伎にぴったりだと思いました。 ──その2007年の歌舞伎座で『ゆうれい貸屋』が上演された時の配役は、お父様の他に、染次を中村福助さん、紙屑屋又蔵を(十八世)中村勘三郎さんがなさっています。今回は同じ役を、それぞれの子息である中村児太郎さん、中村勘九郎さんが演じます。この組み合わせで上演されることにはどんな思いがありますか? 巳之助:父と勘三郎のおじ様、福助のお兄さんが中心になってやっていた納涼歌舞伎というものが、まさに私たちの中にある納涼歌舞伎です。勘三郎のおじ様と父が亡くなってからは、先んじて勘九郎さんと七之助さんが八月の公演を牽引されてきました。その中に自分も組み込んでもらえる時期がきたのかなと思いつつ、思い出の中にある納涼歌舞伎というものを自分たちの手で取り戻しているような感覚があります。 ──古典ではない作品ですが、どのようにして芝居作りに取り組んでいますか? 巳之助:父が勤めた時も大場正昭さんが演出されていたので、今回も大場さんにお願いしました。父たちが演じた時のことを踏まえつつ、勘九郎さんや僕、児太郎くんという配役で演じることや、令和の世に上演することも含めて、大場さんと相談しながらやっていこうと思います。ありがたいことに福助のお兄さんが監修という形で参加してくださることも、すごく頼もしいです。 作品自体は歌舞伎の世話物の感じで作られているお芝居なので、概ね、それに則って演じるつもりです。ですから歌舞伎をあまりご覧になったことがない方には、古典の作品に見えるかもしれません。笑える部分もありますし、幽霊が登場することで涼んでもいただけるのではないでしょうか。そして、人間の浅はかさなども描かれています。歌舞伎をよくご覧になる方にも、ご覧になったことがない方にも、いろいろな見方をしていただけるのではないでしょうか。