矢野前財務次官からのエール「前例踏襲だけでは限界 乱世の今、官僚の腕の見せ所だ」
「役所の仕事は前例を知っておけば8割はできるものだ」 入省1年目、ある先輩に真顔で言われたことがある。とても驚き、今でも忘れることができない。 私が入省した当時は、日本経済のバブル化が進み、パイが広がったものをみんなで分かち合う、配り合うことができた時代であり、「前例踏襲」が霞が関の不文律であった。 だが、時代は平時から乱世へと変わった。しかも「とてつもない乱世」になった。30年以上にわたる日本経済の停滞、少子高齢化、地方の過疎化、激変する安全保障環境……。前例だけでは解決できない事態に直面しているのが現在の日本の姿だ。こうした厳しい制約の中、複雑な連立方程式を解かねばならず、今まさに、官僚の「腕の見せ所」だと言っても過言ではない。 ところが、近年の霞が関は、官僚の積極性が低下し、元気がないように見える。これには、この四半世紀の間、強化されてきた「政治主導」「官邸主導」の結果だと見る向きがある。確かにそれも一理あるかもしれない。 だが、私は、政治主導の方向性が間違っているとは決して思っていない。乱世であるからこそ、正しい流れであり、その真価が問われているからだ。
1990年代、日本の首相・リーダーの存在感が希薄だという意見が多勢を占めていた。政治主導・官邸主導を望む声は、「日本の為政者にもっと手腕を発揮してほしい」という叱責交じりのエールだと受け止めていたし、私自身もそうあるべきだと考えていた。 政治主導が加速するにつれ、官僚の相対的な地位や役割が低下しているとの評価がある。だからと言って必要以上に萎縮する必要はないであろう。ところが、現状では官僚たちが不必要なまでに謙虚に、弱気になっており、政治主導に対する「諦観」に浸り過ぎているのではないかと心配している。 その原因は、誤解を恐れず言うと、政治主導を掲げながらも官僚機構をうまく使いきれていない政治の側にも問題があるだろうが、官僚にも問題があるのではないかと感じている。