日ハム時代の大谷翔平が語っていた確かな「予測」 追い求める理想の体は「しなる棒のイメージ」
プロ野球担当1年目、大谷担当1年目として激動の2014年は、こうしてあっという間に終わりを迎えた。 ■シーズンの目標を表す漢字は「翔」 年が明けて2015年1月5日。日本ハム入団3年目を迎える大谷の鎌ケ谷自主トレ公開日。大谷はシーズンの目標を表す漢字として、自身の名前「翔平」の1文字でもある「翔」を選んだ。 「羊に羽を付けて“翔”にしました。ひつじ年の今年に羽ばたくという意味。去年の成績を超えたい意味もあるし、自分が納得できる年にしたい」
これまで大谷は2年連続で「勝てる投手になりたい。チームに勝ちをつけたいという意味」で「勝」を選んできた。2014年はプロ野球史上初の同一シーズンでの「2桁勝利&2桁本塁打」を達成。2015年は「15勝&打率3割」というさらなる目標を設定し、その先にチームのリーグ制覇を見据えていた。 2014年はソフトバンクとのCSファイナルステージで、あと1勝で日本シリーズ進出を逃しただけに、「話を聞くと面白そうなので、“ビールかけ”をやってみたい」と、秋に味わう勝利の美酒を思い描いた。
1月8日には“大谷らしい”出来事があった。 新年初ブルペンの時期が注目される中、大谷は報道陣に「ブルペン入りはいつにするか決めていません」と話した。だが、打撃練習を終えて合宿所に戻った約1時間後に再び室内練習場に姿を現し、ブルペン投球を始めた。 この日は、前年秋にドラフト1位指名された有原航平(現ソフトバンク)ら新人7選手の入寮日。大谷のブルペン入りは、室内練習場の様子が見えないグラウンドで、多くのメディアが新人選手を待ち構えているタイミングだった。
同日はスポニチを含む多くの担当記者が「1人体制」だったため、大谷の新年初ブルペンの取材を逃す結果に。練習を見られることが苦手だった当時の大谷からしてみれば、狙い通りメディアを撒くことに成功した。 私は「絶対、このタイミングを狙ってブルペンに入ったな~」と、他紙の記者と笑い合った。 ■大谷が「20歳の誓い」で語ったこと この3日後の1月11日。大谷は岩手県奥州市の成人式に出席した。驚いたのがこの時の会見だった。