ウィキペディアから集めた「擬似的な短歌」の学習データで、AIは短歌をどう詠むのか?
「ほんとうの短歌」への第一歩
ここで改めて、擬似短歌を学習した短歌AIの生成を見てみましょう。 ---------- 入力 はたらけどはたらけど猶(なほ) 生成 活躍の道は限られるというわけで (わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る) ---------- ---------- 入力 春過ぎて 生成 人見知りを克服して友人も多く同性から (夏来るらし白たへの衣干したり天の香具山) ---------- 「はたらけどはたらけど猶」は皆さんもご存知でしょうか。石川啄木の短歌です。 「ぢつと手を見る」という有名なフレーズの続く歌ですが、モデルの生成はどうなっているでしょう。「活躍の道は限られるというわけで」。なんだか普通のことを言っていますね。入力されたテキストの表現する文脈を、素直に受けた内容になっています。これはこれで面白いですが、それは「あまりにも普通すぎる」という、短歌らしくない「逸脱」を感じるからと言えそうです。もう少し短歌の「真ん中」を感じられるような表現が欲しくなってきます。 続いての「春過ぎて」は、序章でも引いた万葉集の歌から取ったものです。生成結果を見てみると、「人見知りを克服して友人も多く同性から」と、春の新生活について書いているように見えてきます。こちらも先ほどの例と同じように、ただただその新しい環境での報告がなされているようで、やはり「詠われている」という感じはしません。また「同性から」と文章の断片でふつと切れていますが、この表現が何か効果的に使われているかというと、どうもそうではないと感じます。 このように、ウィキペディア日本語版の記事から抽出した擬似的な短歌を学習した短歌AIでは、その生成もウィキペディアらしい、味気ないものになっています。それでは、擬似ではない「ほんとうの短歌」を学習すると、どうなるでしょうか。それをみたくなってきます。 ちょうどそのとき、でした。私たちは、実際に歌壇で活動する歌人の方々から、彼らの歌集を短歌AIの学習データとして提供してもらえる機会を得ることになります。その経緯も踏まえながら、「ほんとうの短歌」を学習した短歌AIがどのように変身するか、見ていきましょう。 * さらに【つづき】〈「普通すぎる歌しか詠めなかったAI」に、俵万智さんの歌を学習させた「驚きの結果」〉では、擬似短歌を学んだだけでは無機質な、説明文のようだったAIが俵万智さんの歌を学ぶとどのような短歌を詠むようになったのか、くわしくみていきます。 * 引用詳細 (『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』https://ja.wikipedia.org/ より引用した項目について、記事の2024年5月22日現在の最終更新日時を記す) 「粘液」:2024年2月20日(火)07:10 UTC 「3次元ディスプレイ」:2022年10月12日(水)22:00 UTC 「Text Editor and Corrector」:2021年4月17日(土)14:47 UTC 「チェリーボム(プロレスラー)」:2023年10月20日(金)09:13 UTC 「キュニョーの砲車」:2023年2月5日(日)06:51 UTC 「Unicode文字のマッピング」:2023年10月1日(日)04:39 UTC 「ヤーコブ・ヨルダーンス」:2023年8月18日(金)12:43 UTC 「シーシャンティ」:2021年5月22日(土)16:31 UTC 「線スペクトル対」:2018年8月4日(土)11:47 UTC 「室伏広治」:2024年5月16日(木)19:23 UTC 「外惑星」:2023年2月16日(木)19:40 UTC
浦川 通