アルゼンチンが再び「デフォルト」危機ってどういうこと? /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語
市場は「影響は限定的」との見方
市場は今回のデフォルト危機をおおむね「影響は限定的」とみなしています。何しろ返せるわけですから。とはいえ理由が何であっても「アルゼンチンはお騒がせ国」というレッテルが再びバシッと貼られるのがいい話であるはずもなく、通貨ペソは下落傾向に転じています。お騒がせ国の通貨は信用できないので売られてしまうのです。すると輸入品が高くなって国民生活が脅かされかねません。 今のアルゼンチンはインフレ(物価が継続して上がる)気味ながら比較的順調な経済成長を遂げています。不安材料のインフレが物価高で助長されると国内経済にかなりの打撃を与えます。通貨が下がってメリットのある輸出もアルゼンチンの主力はもともと価格の安い農産品中心なので追い風より向かい風の方が強く吹きます。堪りかねて輸入規制でもしようものなら自由貿易圏から一層白い目を向けられるでしょう。
2001年のデフォルトはなぜ起きた?
そもそもの発端であった2001年のデフォルトはなぜ起きたのでしょうか。アルゼンチンはパンパと呼ばれる肥えた平原を持ち、小麦や牧畜が盛んに行われ、フリゴリフィコ(保冷船)の運行開始以降は欧州などの一大食料輸出国として1920年代までは有数の富裕国でした。しかし農業とくに特定の産品に偏った輸出中心経済は1929年から始まった世界恐慌で大きな挫折を味わいます。農産品は工業製品よりも生産が不安定になりがちな上に、単価が安いために恐慌(突発的大不景気)に弱かったのです。 この反省から戦後は工業化にも取り組みます。代表的な方法が輸入代替工業化で工業先進国から輸入してきた製品を国内で生産して自給していこうとの試みでした。一種の産業保護政策で多国籍に展開する企業との競争に敗れ、他方で補助金などを通して特定の企業が国内市場を独占するなど競争原理が働かなくなったり汚職や腐敗の温床にもなりかねない状態が続いて経済が行き詰まります。 打破するために一転して国際市場経済への参入へとかじを切り替えたものの、今度は外国資本の参入、国内産業の衰退、インフレによる途方もない物価高などを招き、91年に「1ペソ=1ドル」の固定相場に変え、米ドルを後ろ盾にするなど苦心に苦心を重ねました。それでインフレはいったん収まり、10年近く安定します。ここで以前からの借金問題を少しでも改善すればよかったのを当時の政権は逆にばらまきへ走り、悪化したまま「その時」を迎えます。