女優 高橋惠子が受け容れた自身の“運命”とは? 自らの“死生観”も語る
自分の人生に見出した運命
■「デカローグ1」では“運命”が描かれているが、高橋は自身にとって“これは運命だ”と実感していることはあるのだろうか。この問いには「あります」と、はっきり答えた。 高橋: 俳優という仕事に就いたことです。それを確信したのは映画のスタジオで最初のカメラテストのようなものがあった時、真っ暗なスタジオでライトの光を浴びながらカメラで撮られているときに“やっと自分の居場所が見つかった”と思った時ですね。 14歳でスカウトされて、15歳から始めて何度も辞めたいと思いましたが、演じることへの面白さやまだやりきれていないという思いがあって、ここまで続けてこられたのでしょうし、天職なのかなと思うと、これから先も80歳くらいまではできる限り続けたいと思っています。 ■そして、運命を受け容れた中学生の時の心境も、鮮明に覚えていた。 高橋: 近所の写真屋さんに家族旅行で行った写真を現像してもらったことがあって、その私が写っている旅行写真が大映のとあるスチールカメラマンの方の目に留まったんです。その方は写真屋さんのお友達だったそうで、後日写真屋さんを通して「お宅の娘さんを女優にしませんか?」というお話をいただきました。 父には俳優になりたかったという夢がありましたし、母も宝塚歌劇に憧れて歌うことが好きでしたから、反対するどころか、大喜びしていました。それで、親のためにやってみようと決意したんです。でも、自分の中では3年やってダメだったらやめるということで引き受けました。 当時、親の仕事の都合で、転校することが多くて、転校生として好奇な目で見られることもあったので、早くクラスの皆に溶け込めるように、私なりに気を遣っていました。そういう状況にいたからこそ、カメラの前で自分の居場所を見つけたことに運命的なものを感じたのだと思います。
悔いなき人生を生きる
■自身にとって“運命”だと受け容れて歩んできた“俳優”という道。その道を振り返って見た時、あれがあったからこそ“今”があると思える作品を挙げてもらった。 高橋: どんな仕事も縁があって出会っていると思いますので一つに絞るのは難しいですが、やはり蜷川幸雄さんからお声をかけていただいて出演した『近松心中物語』ですね。当時は子どもがまだ小学生と中学生だったので地方公演に行くのも難しいと思いましたし、何よりも私はまだ20代だったときに舞台から逃避してしまったことがあったので、自分が舞台に携わっていいのかどうかという葛藤もありました。 だから最初はお断りしました。それでも20代の過ちについては「もう時効だよ」とおっしゃっていただいて……。3度目にお声がけいただいた時、夫が「これはチャンスだから、家のことはなんとかするのでやった方が良い」と言ってくれて、それで引き受けることにしました。当時は42歳でしたが、あれから27年が経ちました。あの作品に出演していなければ、今回の『デカローグ』への出演もなかったと思います。自分ができる役がなければ関わることもできなかったでしょうから、声をかけていただいたことに、本当に有り難いと思っています。 ■今回の「デカローグ1」で高橋が演じるイレナは12歳の甥・パヴェウから、“死”について問われる。こうした子どもからの率直な質問に、自身であればどういうふうに答えるだろうか? 高橋: 生と死は表と裏のように切り離せないものだと思います。もしかすると生まれるということは、どこかの世界で死を迎えて、この世に生まれてきているのかもしれません。最近は特に死というものが、辛いとか、寂しいとか、忌み嫌うものではなく、死というものがあるからこそ、今生きていることを大事だと思えるようになりました。そういう意味で死は特別なことではなく、誰しもに訪れるものなんです。 イレナも魂とか、神様とか目に見えないものを信じている人で、私自身も肉体はなくなっても魂は生き続けていると思います。今、生きているということは、その魂を磨くということ。だから、いつまたここに生まれてこられるかわからないわけですから、生きるということは、とても貴重なことなんです。私が死について、こうした考えを持つようになったのは、60歳を過ぎてからだったかもしれません。若い頃は死にたいと思ったこともありましたが、考えが本当に変わってきました。 日本は唯一の被爆国だったり、東日本大震災や今年も能登地震が起きたりと、数多くの人の命が失われていく体験をしている国です。私自身が実際に体験していなくても、戦地に行ってしまって帰ってこない息子を必ず生きているはずだと信じている母親の役を演じることで疑似体験し、死というものを考える機会があります。 「人生って贈り物なのよ」というイレナの台詞があるんですが、この世界で生きるということは本当に貴重なことだと思います。あの世に行ったときに、“こうしておけばよかった”と後悔しないように、一つ一つを丁寧にしたいと思います。 ■自分に与えられた時間をどう過ごすかは、その人の生き方でもある。どのように丁寧に過ごしているのだろう。 高橋: どこで何をしていても自分らしくいることが、だいぶできるようになりました。それは私にとってとても良いことで、こうしてインタビューで話しているときも、撮影で撮っていただいているときも“自分”であって、何かをさせられている感は全くありません。限られた時間で本心を隠して何か違うものを演じているだけだとつまらないと思うんです。 だから自分らしさということを大事にしたいと思うようになりましたし、“自分”が好きになりました。以前は自分に全く無関心で、二の次にしていたんですが、自分の体とは死ぬまで一緒にいるわけですから、今は大事にしています。例えば舞台に立つには足腰が大事なので、犬の散歩をして歩くことを心がけていますし、外の景色を目にすることで自然の移り変わりも感じることができるのもいいですね。 ■ありのままの“自分”を好きになる。そんな素敵な人生を垣間見ることができた。 高橋惠子(TAKAHASHI KEIKO) 北海道生まれ。1970 年に映画『高校生ブルース』で主演デビュー。数々のテレビドラマや映画に出演する傍ら、舞台作品でも活躍。舞台『雁の寺』『藪の中』の演技で第10回読売演劇大賞 優秀女優賞、舞台『山ほととぎすほしいまま』『藪原検校』『ハムレット』の演技で第3回朝日舞台芸術賞の秋元松代賞を受賞。近年ではテレビドラマ『コタツがない家』、『お別れホスピタル』、映画『アナログ』など話題作への出演多数