「戦う幸村」「瞑想する幸村」大阪に対照的な真田幸村像
「雄々しく采配を振るう幸村」か、それとも「静かに瞑想する幸村」か──。大坂の陣で活躍した武将真田幸村を顕彰する対照的な銅像が、大阪市内の神社に建立されている。人間・真田幸村の実像に迫るうえで興味深い。10日から始まるNHK大河ドラマ「真田丸」をより深く楽しくためにも、現地を訪れてふたつの幸村像を見比べてみてはいかがだろうか?
冬の陣「真田丸」で獅子奮迅の戦い
大阪市天王寺区の三光神社。小高い丘の上に境内が広がる。平坦な大阪平野にあって、起伏を感じさせる数少ないエリアのひとつだ。石段を上ると、まもなく幸村像が見えてくる。堂々たる体躯で、全軍を鼓舞するように采配を振るう。 豊臣秀吉の遺児秀頼が率いる西軍と、徳川家康、秀忠親子が天下取りの最終決着を狙う東軍。両陣営が激突した大坂の陣は、年をまたいで2度勃発した。2度の戦いで幸村は最大級の奮戦を見せつけた。 まず1614年の冬の陣。圧倒的な軍勢で押し寄せる徳川方に対し、豊臣方は籠城作戦で迎え撃つ。大坂城は築城の名手秀吉自身が天下人の威信をかけて築いただけに、盤石の守備力を誇る。ただし、上町台地に開かれた南側だけが、わずかに弱い。 この弱点に気付いた幸村は大坂城から南へ突き出すかたちで、半月状の出城を築く。大河ドラマのタイトルにもなっている「真田丸」だ。 幸村は真田丸に敵兵をおびき寄せては撃退する戦法を繰り返し、徳川方を消耗させていく。予想外の苦戦を強いられた家康は和睦に持ち込んで撤収し、再起を期す。豊臣方は真田軍の奮戦で敗戦を免れ、こちらも次の展開を見据える余力を残すことができた。 幸村像の下に立って周囲を見渡すと、自身が真田丸で采配をふるっている気分を味わえそうだ。
夏の陣 家康の本陣深く斬り込むも敗戦
翌15年、やはり家康が動いた。再び、大軍勢を引き連れて大坂へ押し出す。 一方の豊臣方。堀を埋められ、大坂城はもはや裸同然。城外で野戦に挑むしかない。兵力で劣る豊臣方の不利は否めない。 幸村は起死回生策として、攻撃目標を家康に絞る捨て身の作戦を敢行する。真田軍は赤の軍装で揃えているため、「真田の赤備え」として名高い。全軍が一本の赤い矢のようになって家康本陣の奥深くへ斬り込んでいく。 確かに幸村は三度まで家康に肉薄したとされるが、武運つたなく家康を討ち取ることは叶わなかった。敗色が濃くなる中、疲れ果てた幸村は、ついに敵方武将に命を差し出す。幸村戦没の地と伝わるのが、天王寺区の安居神社だ。 安居神社に建立された幸村像は、激しい戦いを終えた幸村だ。もはやかぶとを被っていない。西を向いてゆったり座り、静かに瞑想するように遠くを見つめている。 冬の陣で采配を振るう幸村像。夏の陣を戦い終えた幸村像。どちらも戦国の時代を駆け抜けた悲運の武将幸村の姿だ。ふたつの銅像を一対の幸村像として向き合いたい。動と静、光と影、生と死。コントラストが強いほど、人は魅かれるのではないだろうか。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)