『THE SECOND』で注目のタモンズ「ライブの基本を崩したかった」。反対を押し切って開催した47都道府県ツアー『詩芸』
名古屋での後悔と長野の覚醒
──GAG福井(俊太郎)さんが「『詩芸』で全国をまわる少し前くらいから、タモンズの漫才が変わってきた」とおっしゃっていました。ご自身では漫才はどう変化したと思っていますか? 安部 僕ら的に大きく変わったのは、やっぱり『詩芸』ツアーの初期なんです。ツアー2本目の名古屋の会場が地下街にある、カーテン1枚隔てて地下鉄に乗る通勤の人たちが行き交うところで。夏で、空調も弱めで、相当苦戦したんです。ええ漫才ができなかった。それが悔しくて。そのあとに行った長野でも出だしがすごく調子悪くて。 大波 名古屋っぽかったよな。 安部 そう。名古屋がよぎって、「このままやと盛り上がりどころ作れず終わる、どないかせな」と、ふたりとも肩をガッと入れて、台本にないアドリブを入れていったら、なんとか後半ウケて終わったんです。台本どおりやるんじゃなくて、その場のお客さんの感じを見て、もがいてもがいて、そしたらウケた。そのときに「なんか、つかんだんちゃうか」という感覚があった。そこから寄席でもネタで遊べるようになって、今につながってるのかなとは思いますね。 大波 名古屋を終えた時点で、作家さんを交えて話したんですよ。僕の感覚ではそこで『M-1』と完全に決別した感じがありました。 ──ネタの完成度を追う漫才から脱却したということでしょうか。 大波 そうですね。そこから、僕の中では台本の割合を極端に下げました。『M-1』のときは台本10割。誰もやっていないボケとツッコミを考えに考えて、練習してできたものを舞台で出す。『M-1』が終わり、大宮で『詩芸』を始めてから台本の割合は7~9割くらいになってはいたんですけど、まだ台本メインではあった。たぶんこのあたりの変化を、福井さんは感じてくれてたのかなと思います。 ──少しずつ変わっていた段階ですね。 大波 そしたら名古屋で全然うまくいかなくて、名古屋まで観に来てくれた人の時間とお金をムダにしてしまった。もう二度とこんなことはしたくない。用意したものがウケへんのやったら、用意したものを出さなければいいんだと。今はもう、台本は2~3割です。 安部 「このままボケ言ってもスベるぞ」という空気を察知したら、突然わめいて「ヤバいやつ」と思われたほうがまだマシ。それくらいもがいてネタをやるようになりました。
文=釣木文恵 撮影=長野竜成 編集=梅山織愛