【連載 大相撲が大好きになる 話の玉手箱】第15回「明快」その4
負けた琴奨菊の捨てセリフもまた、とても納得がいった
ヘンテコリンなウイルスのおかげで、なんともうっとうしい日が続いた令和2年。 心のモヤモヤはマックス状態、最高潮であります。 マスクもつけず、ノビノビと暮らしていた日々が恋しい時期でした。 やはり人間は、単純で、分かりやすく生きているのが一番。 分かりやすいと言えば、力士たちが取組後などに発する言葉も分かりやすいですよ。 そのときの心情、思いがストレートにあふれ出ていますから。 令和2年夏場所が吹っ飛び、力士たちも自粛生活に入って2カ月あまりが経ちました。 懐かしさを込めて、そんな明快なエピソードの数々です。 ※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。 【泣き笑いどすこい劇場】第9回「力士の気持ち」その4 変化で勝っても 土俵の上は、力士たちにとって心の内を写す鏡だ。そのとき、どんな状況で、どんなことを考えているか。相撲っぷりをみれば一目瞭然だ。引退会見で、 「私の相撲人生において一片の悔いもありません」 ときっぱり言い切った横綱稀勢の里(現二所ノ関親方)も、やはり血の通った人の子であることを見せつけたのは平成28(2016)年春場所9日目のことだった。 前項でも触れたように、前の場所、同じ大関の琴奨菊(現秀ノ山親方)が日本出身力士として10年ぶりに優勝している。すでに大関に昇進して5年。次期横綱と期待されて久しい稀勢の里にすれば、心おだやかではない出来事だった。 それがこの場所の成績にあふれていた。なんと初日から負け知らずのまま、中日を折り返したのだ。8連勝は幕内で稀勢の里1人だった。そして、9日目の相手は、前場所の覇者、琴奨菊だった。この場所前、稀勢の里は、 「琴奨菊とやらなければ何も始まらない」 とわざわざ佐渡ケ嶽部屋に出向き、琴奨菊と24番も胸を合わせている。異例のことだった。それだけ強く意識していたのだ。 入門以来、真っ向勝負にこだわってきた2人だけに、当然、この日も火の出るような激突が見られる、と誰もが予想した。ところが、軍配が返ると、あまりにも意外過ぎる結末に館内から悲鳴があがった。なんと稀勢の里が立ち合い一瞬、サッと右に変わって突き落としたのだ。 信条に反する勝利だったが、連勝を伸ばすことを優先した稀勢の里は、 「体がいい反応をしてくれた。勝つことが一番大事ですから。頭や、体から行くのと一緒で、変化も一つのワザですから」 と澄まして答えた。それほど勝ちたかったのだ。気持ちの反映率100%の相撲だったが、負けた琴奨菊の捨てセリフもまた、とても納得がいった。 「(稀勢の里は)あんなことしなくても十分強いのに。目先の一番って、たかが知れているよ。あんな相撲でしか勝てないって、思ったんじゃないの」 勝つと思うな、思えば負けよ、という歌の文句どおり、この場所、勝ちにこだわった稀勢の里は終盤、大事なところで星を落とし、またしても賜盃を抱くことに失敗。悲願の綱取りも、1年後まで待つことになった。 月刊『相撲』令和2年6月号掲載
相撲編集部