ハンセン病患者や戦争遺族の声を代弁…「情に厚くて一本気」県議から三権の長に立った尾辻参院議長辞任に、県内関係者からねぎらいと惜しむ声
尾辻秀久参院議員(鹿児島選挙区)が11日、参院議長を辞任した。尾辻さんを知る鹿児島県の関係者は「芯の強い人」「逆境に負けず行動した」とねぎらった。 【写真】議場に姿を現した尾辻秀久氏=11日、国会
鹿屋市の国立ハンセン病療養所「星塚敬愛園」の元自治会長、岩川洋一郎さん(87)は「鹿児島の政治家が参院のトップにいるのは心強かった」と辞任を惜しむ。 2004年10月、現職の厚生労働相として初めて園を訪れ、懇談にも応じた。ハンセン病への国民の理解を深めようとする姿勢を感じ、力をもらったという。「他人に好かれるかどうかより、自分の信念を通す人。本人も無念だと思うが、大変でしたねと言いたい」とおもんぱかった。 尾辻さんが会長を務める鹿児島県遺族連合会の瀬戸口吉至副会長(84)=東串良町=は「戦死した全員の遺骨を持ち帰るというぶれない強い芯を持っている。遺骨収集や慰霊の旅を実現するなど私たちの代弁者として尽力してくれた」と感謝した。 尾辻さんは3歳で父を亡くし、防衛大学在学中に母を亡くした。高校生だった妹を育てるために大学を辞めて帰郷し、その後、東京大学に入るが、東大紛争の影響で講義を受けられず、世界70カ国を旅した。
鹿児島玉龍高校9期の同級生だった南国殖産の永山在紀会長(84)は「逆境に負けず行動した。『泣こよっか、ひっ飛べ』の郷中教育の精神が流れているのだろう。見返りを求めず、相手が誰であろうと言うべきことは言う。異色の政治家ながら三権の長まで務めた。同級生として誇りに思っている」と語った。 同じく高校の同級生だった鹿児島市の池田洹弁護士(84)は数十年前、尾辻さんに県議選の出馬を勧めたという。「情に熱くて一本気。議長になっても偉ぶらず、同級生は気軽に『尾辻』と呼ぶ」と話す。「1年前に会った際、だいぶ無理をしていると感じていた。激務に耐え、よく頑張った」とたたえた。
南日本新聞 | 鹿児島
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