ヤクルト・木沢尚文「正直あまり楽しい思いはなかった」歯がゆい慶応高時代に築いた進化の礎
【球界ここだけの話】 今年も、夏がやってくる。今月8日には、高校野球選手権神奈川大会の抽選会が行われた。高校球児にとって最後の大会。栄冠に輝く者、夢半ばで敗れる者、あらゆる思いが去来する夏―。現在プロ野球で活躍する選手たちにも、似ているようでそれぞれに全く異なる高校野球の思い出がある。 ヤクルトのリリーバーとして活躍する木沢尚文投手(26)は、神奈川の慶応高出身。昨年夏の甲子園で107年ぶりの優勝を果たし大きな話題となった名門だが、右腕が過ごした高校時代は必ずしも良い思い出ばかりではなかった。 「僕はずっとけがをしていたので、野球ができない時間の方が長かった、というのが思い出ですかね。まともに投げられたのは2年の夏と初戦で負けた秋くらいでした」 故障続きの高校時代。1年時には腰を痛め、その後も捻挫や肩の故障…。そして3年春には肘を痛め、完全復活を遂げることができないまま最後の夏の大会を終えた。 「後悔もあります。もうちょっと体に気を使いながらやれていればけがしなかったのかな…、とか。(最後の大会が)終わった後はあまり高校野球を見たくなかったですし、正直あまり楽しい思いはなかった」 それでも、木沢はここで野球をあきらめなかった。「そのままやめるのも悔しかったので。やめるなら完全燃焼してやめようと、大学野球を選んだ」。覚悟を持って慶大へと進んだからこそ、後にドラフト1位でプロ入りを果たす道が開けた。 歯がゆい日々を過ごした高校時代だが、得たものもある。「投げられない時間の方が長かったので、そこでリハビリについて勉強したり、体づくりの大切さを学んだりできた。それは勉強になりましたね」。現在もトレーニング方法などを意欲的に学び、昨季まで2年続けて50試合以上に登板したタフネス右腕。進化の礎を築いたのは、悔しい思いをした高校時代だった。 この夏も、多くの球児がそれぞれに思いを抱き高校野球を終える。成功者もいれば、失意を味わう者もいる。その時点でたどり着く結果はもちろん重要だが、全てではない。それ以上に大切なのは3年間で得たものを、後の人生にどう生かすか。悔しい思いも、必ず人生の糧になる。(浜浦日向)