「バッタの研究者」が「世界有数のバッタの発生源」で目にした「あまりにも衝撃的な光景」
「新書大賞2018」を受賞し、累計25万部(電子版を含む)を突破した『バッタを倒しにアフリカへ』の続編『バッタを倒すぜ アフリカで』(前野 ウルド 浩太郎著・4月17日発売・光文社新書)が刊行されました。前作では触れられなかった「世界初」の研究内容をふんだんに盛り込んだ、608ページに及ぶ大著です。本記事では本書の第1章より、世界初の発見につながった、モーリタニアでのフィールドワークの様子を紹介します。 【マンガ】19歳理系大学生が「フィールドワーク中」に死にかけた「ヤバすぎる体験」 ※本記事は前野 ウルド 浩太郎著『バッタを倒すぜ アフリカで』から抜粋・編集したものです。
会心の目撃
月光はおぼろげで、鼻先をそよ風がくすぐる。乾いた砂を踏みしめる音色が辺りに響く。まことに静かな夜であった。 ここサハラ砂漠は圧倒的に広大で、地平線の彼方から彼方まで四方八方を見渡しても、明かりが見えるのは我々のキャンプ地だけだ。人間社会から隔離された静寂の闇夜を、ヘッドランプの一筋の光で切り裂きながらゆっくりと歩みを進める。 その光は、突如、奇妙な光景を照らし出した。2匹の昆虫が重なり合い、地表を埋め尽くさんばかりに蠢いていた。私は思わず目を見開き、息を飲んだ。 その昆虫、サバクトビバッタ(以下、諸事情によりバッタと略す)は、メスの背中にオスが乗り、雌雄共に腹部の先にある交尾器を結合させて交尾する。目を凝らしてバッタのカップルたちを観察すると、お互いの交尾器を結合させて交尾中のもの、交尾器は外れ、ただオスがメスの背中に乗り続けているもの、メスが腹部を地中に差し込んでいるものが見受けられる。 腹部を地中に差し込んでいるメスは産卵中のはずだ。バッタのメスの腹部は、やや硬めの11節からなっている。節の間の薄い皮、すなわち節間膜がアコーディオンのように伸びることで、腹部全体を2~3倍に伸長させる。硬化した腹部先端は上下に分かれたくちばしのような形状をしており、上下に開閉し、地中を掻き分けていく。これによって、地下10センチ辺りに一度に100個ほどの卵を塊で、5~6日おきに何度も産卵する。 日中、砂漠の地表面は灼熱の日差しを直接受け、残酷なほどに過酷な環境となるが、地下であれば高温に曝されず、かつ、保湿もでき、卵にとっては安全地帯というわけだ。 辺りを練り歩くと、場所によってはカップルが密集し、足の踏み場もない。緑が少ない大都市のコンクリートジャングルならいざ知らず、土地が余りまくっている広大な砂漠で、なぜここまでカップルは寄り添い、密集しているのだろうか。 「しめた! 緑色の服を着て添い寝したら、バッタに食べてもらえるかも。いや、そもそも私はバッタアレルギーだから、潰れたバッタの体液やら体表に触れてしまうと全身に蕁麻疹が出て地獄を見ることになる。好奇心旺盛なのは結構だが、近くに病院もないサハラ砂漠での野外調査中はやって良いことと悪いことの判断を誤ると命取りになるからやめとけ」など、余計な願望と自制心を闘わせつつ、辺りを散策し続ける。 あちこちで集団産卵が起きている。漆黒の闇に閉ざされた砂漠の奥地で、バッタたちが神秘的な儀式を人知れず繰り広げている。神聖なる未知の領域に足を踏み入れ、謎の現象を目撃できたことに、私は大人げなく興奮していた。日本の実験室内で8年間、毎日のようにサバクトビバッタと過ごしてきたというのに、こんな一面もあったのかと見知らぬ姿に胸のときめきを感じた。 一体何が起きているのか。考えるな、感じろ。いや、研究者だから考えろ。商売道具の頭を使え。 予期せぬ出来事に遭遇し、早々に混乱し始めていた。