HD-2D版『ドラクエ3』を現代っ子にこそオススメしたい理由 色鮮やかによみがえったファンタジー作品の“入門書”
このたび、人生で初めて「ドラゴンクエスト」シリーズのナンバリングタイトルをプレイした。2024年11月14日に発売されたHD-2D版『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(以下、『ドラクエ3』)である。 【画像】勇者としての冒険がいま蘇る…HD-2D版『ドラクエ3』のスクリーンショット 本作のリメイク元にして、1988年に発売されたオリジナル版『ドラクエ3』がいかに素晴らしい不朽の名作であり、いまなお色褪せない魅力を誇ることは大多数の読者のみなさまのほうが詳しいところだろう。 そこで本稿では、いわゆる“思い出補正”が限りなくゼロに近い現代ゲーマーの視点から感じたHD-2D版『ドラクエ3』のおもしろさや見どころを紹介することで、オリジナル版の発売から約36年が経過したいまこの時代に『ドラクエ3』をプレイする意義についてお伝えしていきたい。 ■“ロールプレイ”の醍醐味が随所に オリジナル版の『ドラクエ3』は、シリーズで初めて本格的なキャラクターメイキング要素を搭載した作品だ。HD2D版においてもプレイヤーの分身たる主人公(勇者)以外のパーティーメンバーは固定されておらず、名前・容姿・職業を任意に設定した仲間を、最大3名まで引き連れて冒険をくり広げることになる。 職業は新たに追加された“まものつかい”を含めた10種から選択でき、容姿はルックスA/Bそれぞれで各4タイプが用意されている。昨今のタイトルのようにフェイスパーツや体格を詳細に調整できる形式ではなく、いわゆるプリセットから選択する形だが、これはこれでキャラクタークリエイトに長時間こもる必要もなくサクッと冒険が始められるところがうれしい。 SNS上では、職業と容姿の組み合わせによって他のファンタジー作品に登場するパーティーを再現する試みも盛り上がっていた印象だ。こうした楽しみかたを、美麗な3Dキャラクターモデルによる詳細なキャラクタークリエイトを備えたタイトルでやろうとするとキリがなくなるだけに、制限下での“想像の余地”が楽しめる本作のキャラクタークリエイト要素は、いまとなっては本作ならではの魅力とも言えるのではないだろうか。 ひとたび冒険にくり出した後は広大なワールドマップがプレイヤーを待ち受けている。初期マップの“アリアハン”を突破した直後、「こんなものはほんの序章ですよ」とばかりに、その何倍にも及ぶような世界の全体像が見えてきたときには、高揚感とともに“してやられた感”を味わうほかなかった。 一見するとオープンワールドゲームのはしりのようなデザインに思え、筆者は同ジャンルをどちらかというとを苦手としているのだが、序盤はプレイヤーに対する誘導が丁寧に張り巡らされていたため快適にプレイできた。 いまはまだ訪れるべきではない町に先取りで寄り道しようにも、その時点の戦力では道中の敵に確実に返り討ちに遭うよう設定されていたため、身をもって「引き返すべきだ」と思い知らされる。こうしたレベルデザインが秀逸だと感じた。 HD-2D版では、ストーリー上でつぎに向かうべき場所や達成すべき事柄を示す“目的”をメニューから随時確認できるようになっているので、いわゆる“昔のゲーム”特有の不親切さに戸惑う瞬間は格段に減っていると思われる。 ただ、町や村などのいたる箇所で出会えるNPCとの会話から得られる情報は非常に多くあることも事実で、「こんな重要そうな情報を一介の村人が話してくれるのか……」と驚くこともしばしば。そんなときは、会話を記録してくれる“おもいで”機能をメモ代わりに活用したい。 意味のある(プレイヤーに利をもたらしてくれる)NPCが多数存在するというのは、オリジナル版のリソース的な制限ゆえに“無意味なNPCを配置する余裕がなかった”ことの裏返しでもあるのかもしれない。人によっては「都合が良すぎる」と感じるかもしれないが、個人的にはそんな人の血の通ったNPCたちに不思議と温かみを覚える瞬間すらあった。 ■“色褪せない名作”とは何たるかを知る 戦闘は伝統的なターン制コマンドバトル方式。パーティーメンバーの育成・強化要素に関しても、基本的には敵を倒すことで得られる経験値でレベルを上げるか、あるいは稼いだゴールドで装備を更新していくか。最新のゲームと比べたら、実に硬派なゲーム性だと言えるだろう。 しかしながら序盤はとくに“店売り”装備の性能が魅力的に映ることもあり、金策には自然と熱が入った。道中の雑魚との戦闘から“にげる”という選択肢は頭に浮かばなかったし、新コンテンツの「モンスター・バトルロード」では各クラス帯の報酬として多額のゴールドが設定されているだけに夢中になってプレイした。 度重なるモンスターとの戦闘が苦にならなかった要因のひとつには、「さくせん」システムの存在があったように思う。“ガンガンいこうぜ”や“いのちだいじに”などの大まかな指示を送れば、あとはAIが自動でコマンドを選んでキャラクターが行動してくれるため、スマホ向けRPGのオート戦闘のような感覚でサクッと戦闘が済む。 僧侶などは“バッチリがんばれ”を設定していると単体の敵にも範囲呪文を連発してMPを使いすぎるので、適宜“MPつかうな”や、補助重視の“おれにまかせろ”に切り替えるといった手間が生じる点はご愛嬌。むしろ、ほどよく手をわずらわせてくれることでこちらの作業感も薄れるというものだ。 ご存知の方には「なにをいまさら」という話でしかないのだが、とくに日本産のヒロイック・ファンタジー作品では「ドラクエ」シリーズの文脈が頻繁に用いられているということを、今回初めてシリーズ作品をプレイしたことで痛感した。 たとえば筆者は、“アルミラージ”のことを「一般的にはマイナーなのにやたらファンタジー作品では見かける存在」だと認識していたので、“ロマリア”の周辺で“アルミラージ”と何度も遭遇したことで「だからか!」と長年の謎が解けた気分になった。こうした感動が味わえるのも、これまで「ドラクエ」シリーズに触れたことがなかったからこその特権だと言い張りたい。 思えば“勇者”として世界を救う冒険に出るという体験も、これまでの人生でついぞ味わったことがなかったのではないか。“英雄”や“救世主”などと似ているようで、そこはかとなくニュアンスが異なるようにも思える“勇者”という役割を、これほど王道的にロールプレイさせてくれるゲームも現代では希少かもしれない。 総じて、オリジナル版の発売から36年が経過したいまなお本作でしか味わえない魅力が多くあるという点においても、ビジュアルやシステムが現代に合わせてリファインされていることを踏まえても、「ドラクエ」 シリーズが後世に与えた影響の大きさを学ぶという意味でも、いまこの時に本作をプレイする意義はあまりにも大きいと感じた。 “色褪せない名作”という、使い古されたフレーズの真の意味を知るには絶好の機会だ。
山本雄太郎