成河、木村了ら出演の新国立劇場『ピローマン』レポート到着 “物語を語ること”、“物語が存在する意義”が問われ続ける
休憩をはさんで約2時間50分、カトゥリアンはほぼ出ずっぱりでしゃべりっぱなし。シリアスとコミカルの硬軟を交え、舞台という装置の力と共演者の協力を得つつも、上記の劇中で語られる多くの物語のほとんどを一人で語る姿は凄まじい。そんな、成河によるカトゥリアンから見えてくるのは、語って、語って、語り尽くし、自らの作品を何としてでも世に残そうとする語り手の強烈な執念。「言論の自由」や「思想の自由」といった公共の権利という次元ではなく、命よりも作品を優先しようとする半ばエゴにも近いような作家の業を感じさせる。 二転、三転する物語が「ジェットコースターのよう」と形容されることが多いマクドナー作品だが、本作も然り。降りて(堕ちて?)、昇って……という急展開の連続の根幹にあるのは、間違いなくカトゥリアンの語りであり、小川が成河という俳優を過去のマクドナー作品(『スポケーンの左手』)や『タージマハルの衛兵』といった作品で起用し続けてきた理由が改めてよくわかる。 他の共演陣も同様。“語る”ことに長けたメンバーが顔をそろえており、本作を上演するにあたって、小川がこの俳優陣に対して絶大な信頼を置いていることがよくわかる。物語を語るのは作家だけではない。カトゥリアン以外の登場人物たちもまた、様々な形で自身の物語を表現する。斉藤と松田が演じる残酷な刑事2人でさえも、驚くほど豊かな物語を口にし、人間の多面性、奥深さを見せつけ(物語が進むにつれて、2人の印象が変化していくところも大きな見どころ!)、大滝寛と那須佐代子はカトゥリアンとミハエルの両親をはじめ、劇中の物語の様々な登場人物たちを巧みに演じ分け、観る者を笑いと恐怖にいざなう。 そして、木村了が演じるミハエル。無邪気に世界で唯一愛する存在である弟に物語をせがむ姿は天使のようですらあり(しかし、彼がせがむ物語は、陰惨な結末のものばかり!)、そんな無邪気な笑顔と、その裏にある彼という人間を生み出した凄惨な過去とのギャップに戦慄させられる……。成河と木村の兄弟愛にあふれた掛け合いは必見! 観る者が痛みを感じるような描写もマクドナー作品の特徴であり、本作もまたそうしたシーンが数多く登場する。本作の公式サイトにはフラッシュバックやショックにつながる恐れのある作品であることを示す「トリガーアラート」もあり、観劇には注意が必要(余談だが、劇中で“指を切り落とす“という恐ろしい描写が出てくるが、映画『イニシェリン島の精霊』でも指を切り落とすという描写があり、『スリー・ビルボード』でも手に穴をあけるというシーンがある。作家・マクドナーにとって、手や指に危害を加えるということこそ、最大限の苦痛や罰なのだろうか……?)。 しかし、ここで語られる凄惨で痛みを伴う物語の先にあるのは、決して絶望ではない。語ることが窮屈になりかけている現代において、それでも物語を語り、伝えることの大切さ――最高の俳優たちの語りに耳を傾けつつ、希望の光を感じてほしい。 Text:黒豆直樹 <公演情報> 『ピローマン』 作:マーティン・マクドナー 翻訳・演出:小川絵梨子 出演:成河 木村了 斉藤直樹 松田慎也 石井輝 大滝寛 那須佐代子 2024年10月8日(火)~10月27日(日) 会場:新国立劇場 小劇場