東京大空襲で目にした一面の遺体「戦争で得るものは何もない」
戦争はペンを銃に替えた
大空襲の後、中学4年生になった武井さんは父親の勧めで陸軍特別幹部候補生になり、浜松の航空隊へ。家族も食料不足などから長野県に疎開。そして8月の終戦を迎えました。 「戦争は学校を軍事教練の場としてペンを銃に替えました。そして校舎を軍需工場に変えて子供たちを働かせ、自由を奪いました。2度とこのような過ちをしないようにしなければ」と武井さんは結びました。 3月10日の東京大空襲は米軍爆撃機「B29」約300機による無差別爆撃で、死者は推定10万人、罹災者は100万人超。繰り返される空襲で東京の市街地の5割が失われたとされています。 この日の集いは長野県北部を中心にした「自分史を綴(つづ)り語り継ぐ会」(細川順子事務局担当・会員50人)が毎年開いている「玉音放送と戦争体験を聞く集い」。今回は「戦時下の実相」をテーマに、武井さんのほかにシベリア抑留や戦時下の厳しい学校生活などを体験をした2人も講演しました。
----------------------------------- ■高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説