硫黄島の収容遺骨1万610体、これが「極めて曖昧な数字」という厳しい現実
実は曖昧な戦没者遺骨収集数
先の大戦の海外戦没者は約240万人。遺骨調査団の派遣は1952年、硫黄島を皮切りに始まった。これまでに収容された遺骨は127万7000体。まだ100万人超が帰還を果たせていない。「この現状をどう受け止めていますか」。これが僕の最初の質問だった。 「国のために亡くなっていった方々のご遺骨を野ざらしにしてきたというのは、これはやっぱり国家としての威信に関わることだというふうに思っていますね。ちゃんとやらなきゃいけない」 尾辻氏の回答は予想を外れたものではなかった。 「ただ……」と尾辻氏は続けた。この先は予想外だった。 「どのぐらいのご遺骨を収骨したかっていうその数字は、極めていい加減な数字ですからね」 海外激戦地で遺骨収集活動に加わった経験が豊富な尾辻氏は現場を知っているのだ。遺骨収集事業を所管する厚生労働省の元大臣として、このことに言及するとは、僕は予想していなかった。 「もう、あの我々も、現場でそのご遺骨が何柱だったってやってきたけども、大腿骨2本で1柱ときっちり数えたときもあるし(時代によっては)このぐらいかなっていう数え方で数えたときもあるし。従って今、あの収骨した柱数というのは数えた我々が一番よく知っていて、極めて曖昧な数字だとしか言いようがない」 政府の遺骨収集派遣団は近年、人骨の専門家が同行し、収容した人数を厳密に鑑定している。しかし、それ以前の遺骨収集現場で活動してきた尾辻氏は、数え方の基準は必ずしも厳密ではなかった、と振り返った。 「私が行ったころの遺骨収集は、大変な量のご遺骨があったのね。ところが、大腿骨が出てこないこともある。だから、ご遺骨が山となって積まれた場合、これだけあればこのぐらいだよなっていう(判断もあった)。もう本当に曖昧な数字。その曖昧な数字を曖昧なまま積み上げてきたのが、今の収容数ということになっている」 遺骨収集の現場を知っている僕は、このことを「ずさんだ」と批判する気はない。現場で見つかる遺骨は、学校にある模型のような骨ばかりではない。風化などで大腿骨が砕けて出てきた場合、それは上腕骨など別の部位の骨との区別が極めて困難なのだ。従って、過去には2体を1体と数えたこともあっただろう。逆に1体を2体とカウントしたこともあったかもしれない。 遺骨収集関連の報道でよく用いられる資料の一つに、厚生労働省の「地域別戦没者遺骨収容概見図」がある。この資料で示している収容遺骨、未収容遺骨はいずれも「概数」となっている。2023年3月末現在の概見図によると、硫黄島の収容遺骨は1万610体で、未収容遺骨は1万1290体。この数もまた、例に洩れず、尾辻氏の言う「極めて曖昧な数字」ということだ。 さらに、尾辻氏の父親のような海没者は膨大な人数に上るが、海底深くに沈んだ遺骨を収容できる望みはほとんどない。「つまり」と尾辻氏が言う。 「どっかで終わったって線を引くっていうのは、遺骨収集に関して言うと、あり得ない。すべてのご遺骨に日本に帰ってきてもらうというのは物理的に不可能だということです。ということは、永遠に終わらない作業だから、ずっと続けます、ということになる」 ここまで聞いて、僕は理解した。尾辻氏は、遺骨収集はもう止めるべきだという意味で「幕引き」を口にしたわけではないのだ。 「(終わらないことを分かった上で)遺族はやっぱり納得したいんです。そのためには、国がやるだけのことをやりましたと示すしかない」 遺族に納得してもらうための方策の一例として、漫然と進められてきた従来の遺骨収集とは一線を画し、徹底的に実施する集中期間を設けるべきだ、と主張していたのだ。 そうした考え方は、その後の2016年に成立した戦没者遺骨収集推進法と一致している。同法では終戦80年の節目である、2024年度までの9年間を「集中実施期間」として区切り、遺骨収集の事業予算を増額するなどした。 では、集中実施期間に入ってから7年が過ぎた今、遺族の納得は広がったのだろうか。 尾辻氏の答えはノーだった。従軍経験者の高齢化で遺骨収集に繫がる情報が極めて乏しくなった上、新型コロナウイルス禍によって3年間中断し、大きな成果を挙げられなかったためだ。だから、残りわずかとなった集中実施期間を延長するための改正法案を本年度中に議員立法で提出し、国会審議で行うべきだ、と主張した。 その上でこう話した。 「もうね、遺骨収集を考えるにあたって(国会で)ちゃんとした議論ができるのは最後の機会だと思う。もうこの後、遺骨収集の議論どうしようなんていうのは、もうできないだろうと。ないだろうと思うね」 そう考える理由は何なのか。 「もう早い話が、そこまで遺骨収集のことを語れる、議論できる我々の寿命が持たない。(自分の)後の人たちは、もう戦争のことも、本当に知らないし。遺骨収集って言っても、もうピンとこない世代の人たちだから」 尾辻氏は1時間5分のインタビューを通じて、いまや少数派となった戦争当事者世代の国会議員としての思いを深めた様子だった。取材に応じてもらったお礼を僕が述べると、こう話した。「集中期間を延期するという議員立法はきっちりやらなきゃいけない。もうこれは何が何でもやらなきゃいけない。改めてあなたと話をしながら、思いましたよ」。 僕は深く頭を下げて退室し、数歩進んだ後、何気なく振り返った。その際、応接用の椅子に座ったまま、何かを決心したような表情の尾辻氏の姿が見えた。 「あとのことは心配するな、という国の約束はどこへいったのですか!」 そんな母の叫びを忘れずにいる人の表情だ、と僕は思った。
酒井 聡平(北海道新聞記者)