<万里一空・彦根総合23センバツ>/3 「執念」問い続け成長 九回追いつかれ、1球の重み自覚 /滋賀
甲子園出場を目指し、野球部の強化を託された彦根総合の宮崎裕也監督(61)。2020年の着任式で松本隆理事長(78)から「5年かけて甲子園を狙えるチームを目指します」と紹介を受けると、開口一番「3年で甲子園に行きます」と宣言した。ここから野球部の再生が始まった。 宮崎監督は最初の1年間、選手集めに力を入れた。県内の全中学校を回り、知人の指導者を介して近隣県にも出向いた。だが、彦根総合は野球では無名校。簡単ではなかった。松本理事長が自分を熱心に誘ってくれたメールを読み返し「理事長の期待を裏切るわけにはいかない」と、地道に中学校を回り続けた。翌年、現在の2年生28人が彦根総合の門をくぐった。 当時の部員はわずか11人。寮も専用グラウンドもなかった。それでも「宮崎監督と一緒に野球がしたい」と集まった選手たちは1年生の時から公式戦を経験した。しかし、他校の上級生との実力差に苦しみ、昨春まで公式戦で1勝も挙げることができなかった。 上田大地主将(2年)は「本当に甲子園に行けるのか何度も不安になった」と話すが、宮崎監督から「冬を越えたらやっと高校生だ」と言われ、1年の冬は筋力トレーニングに明け暮れた。選手たちは体ができたことで打球のスピードが上がり、飛距離も見違えるように伸びてきた。昨春の県大会で初めて公式戦で勝つと一気に4強まで駆け上がった。夏の選手権滋賀大会ではシード校になったものの、初戦負け。若いチームゆえの苦い経験にはなったが、さらなる成長の糧となった。 宮崎監督は「2年生は自分を信じて来てくれた同志。結果を出して何らかの形で恩返しがしたい」と強く思ってきた。夏の猛練習はその気持ちの表れで、秋に勝負を懸けていた。 宮崎監督が選手たちに問い続けたのが「執念」の野球だ。一心不乱なプレーは相手に圧力をかけられる。まさに昨夏の初戦で相手の伊香高に感じたものだった。ボールの球際まで取り切る守備、甘い球を見逃さない打撃を身に付けるため、選手たちは練習や試合を重ねて自信を付けていった。 迎えた秋の県大会。選手らはチーム目標を「2死から得点を稼ぐ」、個人目標を「2ストライクからどれだけ投手に投げさせるか」に設定した。 3回戦までコールド勝ち。森田櫂選手(2年)は「リードしている場面でも気を緩めなくなり、中盤以降も意識して声掛けをし合うようになった」と成長を感じていた。 そして準々決勝の彦根東戦で最大の山場が訪れる。投手戦となった試合は1点リードで九回へ。先発のエース野下陽祐投手(同)が1死から三塁打を打たれ、勝田新一朗投手(同)に後を託す。2死として勝利まであと1人。2球目、マスクをかぶる森田選手は変化球のサインを出すが勝田投手としては「自信のある球ではなかった」。迷いがあるまま投じたボールを中前に運ばれて試合は振り出しに。勝田投手はぼうぜんとして涙を流した。チームが1球の重みを自覚した瞬間だった。【飯塚りりん】=つづく(題字は彦根総合書道部)