【スポーツとファッション】ポロシャツは“誰”のもの? VOL.1
近年、スポーツ界におけるファッションの進化、ファッション業界においては、スポーツへの影響など、スポーツとファッションには本質的な違いを持ちながらも、お互いに密接な関係を持っている。この連載では、カルチャーに焦点をあて、スポーツとファッションの関係についての歴史を深堀する。
ふたつの戦い
今や、ブライトンといえば三苫薫である。同じ日本人として、身びいきを気にする必要がないのが嬉しい。2023年1月29日におこなわれたFAカップ4回戦、対リヴァプール。ロスタイムに決めた三苫薫の逆転弾(トラップから空中でのダブルタッチ後のシュート)以降、ブライトンという地で繰り広げられるセンセーショナルな〈戦い〉が、世界中のサッカーファンに記憶され続けている。 ブライトンはまた、サブカルチャーの歴史に深く刻まれる別の戦いが起きた地でもある。1964年、日本で初めてオリンピックが開かれ、亀倉雄策による驚異のデザインワークが世界に衝撃を与えていた頃、ブライトンでは若者たちが喧嘩していた。 細身のスーツにアメリカ軍のM-51(のちにモッズコートと呼ばれる)を羽織り、ランブレッタやヴェスパといったスクーターに跨った〈モッズ〉と、レザーのライダースジャケットにトライアンフなどの大型バイクに乗る〈ロッカーズ〉の戦い。 この模様は1979年に公開された映画『Quadrophenia:さらば青春の光』で描かれたことにより、世界中のサブカル好きの教養として刻まれることになった。
喧嘩は割りに合わない
ブライトンの戦いは、何も映画だけの話ではなく、史実に基づいた戦いであった。二大勢力の争いの発端は、クラクトンというイギリス東部の街で起こったとされている。些細な小競り合いがニュースとなり、それを見たモッズが、次の日一斉にこの地に向かったという。 しかし、この日の喧嘩は、モッズとロッカーズではなく、モッズと地元の商店街、そして警察との争いに発展した。そして、迎えた次の休日、ブライトンでモッズ対ロッカーズの闘争が起こった。 この争いを機に、トップ・モッズたちは、イギリスが第一次世界大戦で痛感したように(戦争の代償として、その後深刻な不況が訪れ、世界のリーダーとしての権威を失う契機のひとつになった)、争いは割りに合わないと悟った。ファッションが何よりも優先だったのに、大切な服やスクーターが台無しになった。そんな理由で、対立を避けるようになった者も多かったそうだ。 というわけで、話はポロシャツに行きつく。この戦いを巻き起こした当事者、モッズが愛したアイテムのひとつが、フレッドペリー(FRED PERRY)のポロシャツだった。