小6の時にナナメがけカバンで「胸強調してるの?」と言われて以来の“呪い”。その時は笑って流したけれど
義父からの性被害
――小学校5年生のとき、お母さんの彼氏(後の再婚相手)から性加害があったそうですが当時はどう捉えていたのでしょうか。 魚田:その頃は多少の性の知識があったので、小学校1年生のときとは違って「性的なことをされた」ということは分かりました。 でも完全には分からないし、理解したくないという気持ちもありました。 ――そのとき、お母さんに言えなかったのはなぜだったのでしょうか。 魚田:小1でスーパー銭湯で痴漢に遭ったとき母に話したのに寄り添ってもらえなかったというのがあります。 もう1つ、小5のときに私が寝ていたら深夜に不審者が部屋に入ってきて「お話をしてくれ」と言ってしばらくしゃべって帰って行ったこともあったんです。 次の日、母にそのことを話して「警察に言わなくていいの?」と聞いたら「夢だったんじゃないの?」と受け流されてしまったことがありました。 もしまた同じように流されてしまったら、今回は自分がすごく傷つくような気がして言えませんでした。「母は義父のことが好きだから取り合ってくれないかもしれない」という気持ちもありました。 ――もし、自分の子どもが性被害に遭ったらどうしようか考えたことはありますか? 魚田:まず本人の言うことを否定はしないようにして話を聞こうと思います。
女として見られたくない
――魚田さんが”女性らしさ”に嫌悪感を抱くようになったのは、義父から性加害に遭ったことが大きかったのでしょうか。 魚田:義父がお風呂を覗こうとしたりすることが日常的にあったし、「女らしくしているとまた性的な目で見られるかもしれない」という気持ちが強かったです。 小学校では敢えて下ネタを言ってみたり子どもっぽく振る舞っていました。 「男子は下品な女の子は好きにならないだろう」と思って、女の子として見られたくなくてやっていましたね。男の子に対してはわざとサバサバした感じで対応していました。