『虎に翼』は視聴者にとっても“私の物語”だった 最終回で伊藤沙莉が投げかけた問い
『虎に翼』は視聴者にとっても“私の物語”だった
理不尽や怒り、葛藤を伴う数多の地獄を味わった先人たちの闘いの先に、我々は生きているのだということを、「笹竹」で桂場(松山ケンイチ)と対峙する寅子と女子部の面々を見て思い知る。筆者が『虎に翼』を通じて感じるのは、寅子という法が視聴者の中に息づいているのではないかということ。社会に異を唱えて動いたとしても、社会は動かないし変わらないのかもしれない。けれど、声を上げることを諦めなければ、その声がいつか何かを変えるかもしれない。いつまでも変わることのない世の中を穿つ雨垂れとして。声を上げた記憶は自分の芯になるのだから。 筆者にとって『虎に翼』の放送は、自問自答の半年だった。脚本、演出に圧倒されながらも、時に自分の無自覚な偏見、無知を恥じたこともあった。立場上、書くことは全て自分に返ってくることも思い知った。寅子の「どの私も私。全部含めてずっと私なのか」というセリフ、「さよーならまたいつか!」の〈生まれた日からわたしでいたんだ〉という歌詞は、そんな自分すらも優しく肯定してくれている。『虎に翼』は登場人物一人ひとりの物語であり、視聴者にとっての“私の物語”でもあった。筆者にとってそう思えたのは、小橋(名村辰)が裁判所で開かれた中学生向けの勉強会で男子学生にかけたセリフに出会ったとき。「まあ1番になれなくてもさ、お前のことをきちんと見てくれる人間は絶対いるからさ」という言葉は、この先迷い、挫けた時に思い出せるよう、またいつかのため、心のお守り袋にしまっておきたいと思う。
渡辺彰浩