突然引退…私は逃げた 23歳元五輪選手、余裕で1位のはずが…市民ランナーに負けて気付いたこと バイトしながら目指す新たな夢
練習をしているのに…不振に陥る
しかし、翌年から不振に陥った。練習はできているのに結果が伴わない。レースになると体が重く感じて動かなかった。「けがをした時の乗り越え方は高校時代に経験して知っているが、練習をしているのに結果が出ない時の乗り越え方を私は知らなくて」。悩む時間が増えていった。
病気にもなって…乗り越えられなかった苦しい日々
23年1月の都道府県対抗女子駅伝の直前、肺気胸になった。走ることを禁止され、部屋に1人で閉じこもる日々。食事が喉を通らなくなり、体重は落ちた。 「気胸が一番の原因かといったら、そうじゃない。周りの選手は苦しい時期を乗り越えて強くなると思うが、私は乗り越えられなかった。逃げたんです」。引退の決断は急だったという。
駅伝のイベント、余裕で1位になれると思ったら…
競技を一切やめる決意で実家に戻った。自動車教習所に通い、免許を取った。そして夏、知人から神戸市で開く駅伝のイベントに誘われた。市民ランナーが2キロを5人でつなぐレースで「萩谷さんは1人で10キロ走って」と言われた。 半年近く走っていなかったが、余裕で1位になれると思っていた。とんでもなかった。「最初から置いていかれた。それがめちゃめちゃ悔しくて」。自分の中にまだ悔しいと思う気持ちがあることに気付き、次の日から朝練習を始めた。
バイトしながら復帰に向け練習、もう1度五輪へ
今はアルバイトをしながら復帰に向け、自分で練習メニューをつくる。「なぜこの練習にするのか、設定タイムはどのくらいにすればいいのか。実業団時代には考えなかったことを考えるようになり、それも面白い。でも本当の面白みはレースに出て結果を出すことだと思う」 次はマラソンで、もう一度真剣に五輪を目指そうと考えている。その道のりが険しいことも覚悟している。 (敬称略)