「最近この曲にハマってんだよね」「今さらですか?」オジさんになると音楽的な感性が衰える…ワケではないというお話
先日、2023年「日本レコード大賞」ノミネート曲が発表され、さっそくSNSが荒れておりました。アニメと共に超ヒットしたYOASOBIの「アイドル」が、大賞の候補にあたる「優秀作品賞」に入っていなかったからです。まあそうなりますよね。 「詐欺師の小道具じゃかわいそう!」 風が吹けば桶屋が儲かる的な「DX(デジタル革命)」、本当の面白さ知ってる?! 実際、当のご本人達がレコード大賞を獲りたかったかと言えば、正直どっちでも良かったのかもしれません。割と以前から「な、なるほど」というビックリ選考が飛び出す音楽イベントでしたから。 誰かの基準でお墨付きや権威付けをすること自体、徐々に世間から相手にされなくなっており、しかもその状況がリアルタイムにネットで可視化される酷な時代です。批判なり反響なりが起きている今は、まだマシなのかもしれません。 音楽に限らず、私たちの趣味嗜好は細分化を続けています。ネットやSNSがそれらを受け止め、自走もしています。「どれが一番か決めて」なんて別に頼んでないよ、好きなモノは自分で決めるよ、という人たちが、今よりもっと多数派になった瞬間、レコ大や「新語・流行語大賞」みたいなコンテンツが、完全な終りを迎えるのでしょう。 実は平成の始め頃まで、一部新聞の文化面や社説などには「近ごろ、誰もが口ずさめる流行歌が無くなった」と嘆く「お約束記事」「定番ネタ」が定期的に掲載されていたんですよね。 そもそも誰もが同じ曲を好むなんて、相当不自然なワケで、かつての国民的ヒット歌謡曲ですら、情報が一方通行だった時代のメディアの力技だった面もあります。何より「国民全員が好きです!」なんて北朝鮮が一番得意なやつですからね。 しかもその新聞、同じ紙面に「みんな違ってみんなイイ」みたいなことを平気で書いていたので、子供心に「ずいぶんなご都合主義だな、信じられん」とドン引きしたことを覚えています。
オジサンの音楽的感性は死なず……
先日仕事でご一緒した若者に、○○って曲いいね、最近知ったよ、なんて話したら「それ……私が子供の頃に聞いていた曲です」とドン引きされて、ホント申し訳ない気持ちになったんですが、実際オジサンになると、あまり新しい曲を聴かなくなる、という人も少なくないです(もちろん人によりますが)。 でもそれは、年を取るとオジサンの音楽的感性が死ぬという話ではなく、例えば最近の楽曲を聴いて「いい曲だな」と感じても、過去にそれと同じくらい「いい曲」と既に出会っており、困ったことに、その「いい曲」には当時の甘酸っぱい思い出が最強スパイスとして添えられているんですよね。 その曲が流れると、思い出が走馬灯となって駆け抜ける、そんな熟成した発酵食品みたいな「いい曲」の壁を乗り越えてやってくる新曲なんて、なかなか出会えないものです。 「これ良いな」と思っても、手持ちの熟成ストックが強すぎてスッと心から抜けていってしまう。ベテランバンドのファンが「昔の方が良かった」と嘆く心理も、こういった要因が影響しているのではと思っています。 決して音楽の感性が死んだワケではない、のですが、でも「気になった曲」「街中で流れてきた曲」を簡単に見つけ、手に入れられるなんて、昔だった考えられないくらい素晴らしい時代ですよ。せっかくそんな時代を生きているのですから、たまにはサブスクのお勧めでも聴いてみましょうかね。 さて、お陰様でこの連載も2年目に突入しました。皆様に感謝しつつ、3年目に向けて頑張りたいと思います。 Text:小木曽健(国際大学GLOCOM客員研究員) ※本記事のタイトルはFORZA STYLE編集部によるものです。
小木曽 健
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