大島・大野稼頭央、169球完投 離島から目指した夢 センバツ
第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社など主催)第5日の23日、8年ぶり2回目の出場を果たした大島(鹿児島)は関東大会優勝の明秀日立(茨城)に敗れた。甲子園初勝利はならなかったが、学校がある離島の奄美大島の人口の1割近い数千人規模の大応援団が駆けつけ、島で生まれ育った子供たちの奮闘に大きな拍手を送った。 【過去には小芝風花さんも】歴代センバツ応援イメージキャラ 8点を追う九回、チームカラーの緑一色に染まったアルプススタンドが沸いた。9番の体岡大地選手(2年)がヒットで出塁。続く有馬航大選手(同)もヒット、大野稼頭央投手(3年)は四球で1死満塁のチャンスを作り出した。同校の吹奏楽部が演奏する島唄「稲すり節」に合わせ、島の住民や出身者らが体を揺らす。得点はならなかったが、球場全体が揺れているような盛り上がりだった。 戦後、1953年まで米統治下にあった奄美大島は野球熱が高い。島の子供たちは多くがバットとボールを手に甲子園出場を夢見る。しかし、有能な選手ほど、練習環境が整っていて甲子園出場の可能性が高い鹿児島本土の強豪校に進学するケースが多かった。 風向きが変わったのは2014年、大島が21世紀枠でセンバツに初出場してからだ。今の選手らは当時、小学生。スタンドで観戦した大野投手は「島から甲子園を目指せる。目指していいんだ」という思いを強くした。高校進学時は本土の学校から誘われたが、別の中学にいた西田心太朗捕手(3年)の言葉で島に残った。「お前は理想の投手だ。一緒に島から甲子園を目指そう」 はるばるやって来た甲子園。大野投手は「楽しみで、わくわくしていた」という気持ちの高ぶりから序盤はボールが浮き、痛打を浴びた。それでも中盤以降は立ち直り、169球を完投。好投手の一人として注目された実力の片りんを見せた。 試合後、拍手に包まれたアルプススタンドには、14年時の主将で現在は島にある龍郷町の職員として働く重原龍成さん(25)もいた。「あと一本が出なかったが、大島らしい粘り強い野球を見せてくれた」。また、大島の同窓会などでつくる「甲子園出場実行委員会」の丸田卯禮男委員長(82)は「島の誇りだ。よく頑張ってくれた」とねぎらった。 島全体が盛り上がった春は終わったが、やがて夏が来る。「打たれたけど、自分のボールが通用するな、と感じた」。大野投手は手応えを語る。「また夏に帰ってきて、自分らしくぶつかっていきたい」【白川徹、浅野翔太郎、隈元悠太】 ◇全31試合をライブ中継 公式サイト「センバツLIVE!」(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2022)では大会期間中、全31試合を動画中継します。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/hsb_spring/)でも展開します。