25年前のワールドユース準優勝メンバーの「その後」 20歳の高田保則は周囲の評価のギャップに苦しんでいた
【純粋にサッカーと向き合うことができた】 2006年も13チーム中12位と、苦しい戦いが続いた。そのなかで高田は、チームトップの12ゴールを記録する。6シーズンぶりのふたケタ得点だった。 「振り返るとベルマーレでは、自分で自分を追い込んでいた気がします。自分がエースだなんて一度も思ったことはなかったけれど、『なんでみんなはやってくれないんだ』という気持ちもあって、それが焦りにつながったりして、いろいろなことがうまくいかなかった。 でも、ザスパではチームの一員として『一緒にサッカーを作っていける』という感覚に戻ることができたんです」 ザスパへの移籍で心のにごりが取れていき、純粋にサッカーと向き合うことができた。 しかし、高田のキャリアは、さらに揺れ動いていくのである。 (後編につづく/文中敬称略) ◆高田保則・後編>>「湘南の貴公子」は25年後、どんなセカンドキャリアを送っているのか 【profile】高田保則(たかだ・やすのり)1979年2月22日生まれ、神奈川県横浜市出身。日産FCジュニアユースからベルマーレ平塚ユースに進み、1997年にトップ昇格。U-20日本代表として1999年ワールドユースに出場して準優勝に貢献する。2005年の横浜FCを経て2006年からザスパ草津でプレーし、2011年に現役を引退。ポジション=FW。J2通算407試合は歴代9位、76得点は歴代10位。
戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei