「V型12気筒スポーツカー」の魂を探せ アストン マーティン “初代” ヴァンキッシュで欧州横断 歴史アーカイブ
海を越えてフランス、そしてベルギーのスパ・フランコルシャンへ。
とはいえ、今はヴァンキッシュをもう一度知ることが先決だ。このようなクルマに再会するのは、昔の同級生に会うようなものだ。最初は少し煩わしく思うだろう。しかし、もう一度、お互いに打ち解けてくると、2人の関係に火をつけた魔法がまだそこにあることがわかってくる。 それでも、アストンは筆者の忍耐力を試した。フォード傘下の同社が、ドライビングポジションが悪く、シートのサポート性がなく、クルーズコントロールがなく、古いジャガーのスイッチギアと無能なカーナビを備えた17万4000ポンドのクルマを売りに出すなんて馬鹿げている。 その理由はわかる。アストンは毎年350台のヴァンキッシュを生産しており、これらの問題を修正するために必要なコストを用意できないからだ。だからといって、気にならないわけではない。 さらに悪いことに、筆者は3万ポンドの三菱ランサーエボリューションIXで同じ道を走ったことがあり、それと比べて、アストンはあまり速く感じなかった。 ポルシェ911カレラSと残りの10万ポンドの預金があれば、どれほど多くの願望を叶えられるだろうかと思いながら、大渋滞を抜けて海岸までたどり着く。筆者はクルマの見た目だけでロマンを感じられる人間ではなかった。その下のハードウェアが値札相応のものでないのであれば、単なる悪いクルマではなく、信頼を裏切った悪いクルマなのだ。 しかし、筆者はこのクルマのことをよく知っていた。2001年に最初の試乗レビューを書いて以来、少なくとも年に1回は運転する口実を見つけては乗ってきた。どれだけ欠点を探しても、嫌いにはなれない。そして、最高出力527psの「S」も同じだと確信していた。 カレーからケルンへ行くのは難しくない。最も走りがいのないルートの1つである。オートルート(フランスの高速道路)を走り、ベルギー警察をかわすのに飽きたら、高速道路を降りて、スパ・フランコルシャンに引き寄せられて南へ向かった。 アストン マーティンはこの伝説的なサーキットで華々しい歴史を刻んできたわけではないが、両者の類似点が訪問の決め手となった。どちらも1920年代初頭に誕生し、速さと美しさでその名を馳せた。1980年代に大きく変貌を遂げ、現代に合わせて再定義されたにもかかわらず、両者とも誕生当時の魅力を保ち続けている。 もちろん、新しいサーキットは混んでいたが、今回ばかりは気にならなかった。筆者は旧コースで、カメラマンのスタンに怒鳴られるほどのスピードでスタブロー(コーナーの1つ)を駆け抜けた。 その後、ペドロ・ロドリゲスとジョー・シフェールが290km/h以上の速度でポルシェ917を並走させたであろう場所のすぐそばにある、マスタ・フリトリー(Masta Friterie)という店でチップスを食べた。チップスは美味しくなかったが、そんなことはどうでもいい。そこに座っていると、アストンに乗ってきてよかったと思えてきた。このような場所では、正しいクルマに乗ることが重要だ。 ついつい長居をしてしまい、テーブルを叩くカメラマン(スタン・パピオール)の指の音が耐えられなくなる頃には、周囲はすっかり薄暗くなっていた。そこで、カーナビがまったく役に立たないことに気づいた我々は、ドイツとヴァンキッシュの真のスピリットを見つけるために欧州を横断する旅に出た……。 (翻訳者注:この記事は2005年に『AUTOCAR』誌に掲載された初代ヴァンキッシュSの特集記事を抜粋・翻訳・編集したものです)
執筆 AUTOCAR JAPAN編集部