10年「お蔵入り」のコメ、陸前高田の復興ブランド米で復活
夢は10年間、倉庫のフィルムケースに眠っていた。静岡県の研究者が02年に東北向けのコメとして開発したものの「お蔵入り」になっていた新品種が、東日本大震災後、岩手県陸前高田市でブランド米として復活した。今月上旬には同市で本格的に田植えが行われた。30日には都内でPRイベントが開かれる。
苦節10年、新品種が誕生
JT植物イノベーションセンター(静岡県磐田市)の研究員、柏原正和さん(50)らは90年、東北向けのコメ開発を始めた。米どころとして知られる東北だが、味がよくて、しかもいもち病など病気に強い品種がなかった。年間約100種類コメをかけあわせ、研究を重ねた。 「熟色が鮮麗 ◎」。柏原さんが高い評価をメモに残した。92年、「ひとめぼれ」と自社開発「いわた3号」を交配したものだった。「稲穂が実る色合いが鮮やか。あきたこまちより育つ姿もいい」と感じた。 磐田市や東北の農業試験場で研究を重ねた。「いわた13号」として2002年、品種登録された。品種改良を担うアグリ事業が発足して15年が経っていた。
突然の事業撤退
「アグリ事業から撤退する」。柏原さんは2002年夏、会社から予想外の事実を突きつけられた。15年積み上げたものが、水泡に帰した。「全身の力が抜け、血の気がひく思いだった」 90年代、日本は「植物バイオテクノロジー」に期待した。JTはたばこに次ぐ新分野として事業部を発足。化学メーカーなどもこぞって参入したが、相次ぎ撤退・縮小した。JTも遺伝子研究に切り替えた。 「いわた13号」は研究材料として、フィルムケース8本だけ倉庫に残した。登録料がかかるため、08年には品種登録を取り消した。
「現地で仕事になる支援を」
「岩手県で栽培できる品種はありますか」。2011年12月、柏原さんは突然、同僚の上岡修さん(54)に尋ねられた。上岡さんは被災地支援イベントに参加し、陸前高田市の復興担当アドバイザーから「現地で仕事になる支援がほしい」ともちかけられていた。 「すぐ温室で育てましょう」。倉庫から約240粒を取り出し、温室に植木鉢を並べ、一粒ずつ植えた。種もみ6グラムから、翌年3月に約3キロを収穫した。 上岡さんは協力農家を探しに、陸前高田市に向かった。しかし一度は全ての農家に断わられた。優遇措置がある「奨励品種」でないため関心は低く、販売実績もなかった。
ブランド名は「たかたのゆめ」
津波で4町のうち2町(約2ヘクタール)の田んぼを失った農家が、協力を約束した。2012年11月、収穫に成功したコメの食味会が都内で開かれた。「おいしい」の声が相次いだ。つやとねばりがあり、ご飯だけで食べられる甘みがある。ブランド名も「たかたのゆめ」に、この日決まった。 今年は50トンの収穫を目指し、今月上旬に陸前高田市で10数軒の農家が田植えをした。東京・虎ノ門の貸し菜園「森虎農園」でも30日、プロジェクトを支援する田植え会が行われる。 「よいコメを作るには、品種と栽培の両方が重要。東北と協力しあい、新しいコメを作り上げたい」。柏原さんは力を込めた。