警戒区域解除「線量管理は自己責任」 全町避難の富岡町ルポ(上)
「人の暮らしがあった」JR富岡駅前
町の中心駅・JR富岡駅を訪れた。波しぶきが駅から見え、見晴らしがよい。駅舎は基礎のみが残り、無残な姿をさらしたままだ。藤田さんが、震災直後4月の写真を手にとり、解説を始めた。 ―――震災前は、海は見えませんでした。駅の向こうは住宅地で、家がびっしりあった。人の暮らしがあったんです。しかし津波で全てがなくなった。いま駅の向こう(東側)は、除染の仮置き場への整備が進んでいます。 ―――駅の脇に、小さな慰霊碑があります。震災当時、駅トイレの手前などにも遺体が流れ着いたそうです。本来は町がやるべきだけど、俺たちがやろうと先輩が作ってくれました。 私たちはそっと手を合わせた。
全国の警察官が立ち寄る「鉄の塊」
草がぼうぼうに生えた線路の「踏切」をわたり、少し海に向かうと、焼け朽ちた鉄の塊が目に入った。 ―――これはパトカーでした。車の原形はないが、側面の黒色がかろうじて想起させます。パトカーには2人の非番警察官が乗っていて、避難誘導をしていました。1人は30キロ沖合いでみつかり、もう1人はいまだ見つかっていません。 看板には「あなたがたの崇高な警察魂は、数々の功績を警察官の鏡として永久に忘れません」 とのメッセージ。その隣にポストが立っている。 ―――行方不明の佐藤雄太さんあてのポストです。月命日には両親がきて、手紙を回収します。責任感が強い方で、仲間からは「もうかえっておいで」との声があがっているそうです。 ―――双葉郡には、事故当初から全国の警察官が応援にきました。そして全国の警察官がこの場所に立ち寄るといいます。彼らの誘導のおかげで助かった命もあると思うんです。ただ、ここも仮置き場予定地になっています。 富岡町内で人はほとんど見ないが、作業をしている人を見かけた。除染の事前調査をしているという。除染完了は予定より遅れている。当初は3年後の現在、すでに除染を終える計画もあったという。 ※(下)に続く