警戒区域解除「線量管理は自己責任」 全町避難の富岡町ルポ(上)
検問地点、今は跡もなく
Jビレッジ近くの「楢葉工業団地入口」という大きな交差点に近づく。事故直後は検問所だった。この先は原発20キロ圏の「警戒区域」で立ち入り禁止となった「境界」だ。「悲しかった」と藤田さんは話す。今は跡もなく、何なく車は通過する。 広野町を過ぎ、楢葉町に入る。右手にJビレッジが、左手には道の駅(今は双葉警察署の仮庁舎)がみえる。楢葉町に入ると、住宅の風景が少し変わる。砂袋が屋根の上に応急措置で乗っている住宅が散見される。高台には地震で崩れたままのお城のような「御殿」も。町は帰還宣言を検討している状態で、住民は戻っていないという。 ―――屋根にこういう措置をした家は今どうなっているか。ほぼ雨漏りしています。その実態は、後ほど事務所でご覧いただきます。
除染された校庭、側溝は高線量
福島第二原発を右にみて、いよいよ富岡町に入った。まず、集会所に立ち寄り、つなぎのような白い防護服を服の上から着た。帽子をかぶり、マスクをする。面倒なので、マスクはすぐ脱いだ。 バスは、大通り沿いのドラッグストアを横切る。 ―――この薬屋は、建設会社が除染の事務所として借り切っています。いま開業している店は2軒です。1つが交差点にあるガソリンスタンドです。 その交差点を曲がり、最初に降りたのは、富岡第一小学校だ。藤田さんの母校でもある。体育館の窓には紅白幕が飾られたまま。時が止まっていた。 ―――3月11日に、あるクラスは「先生さようなら、みなさんさようなら」とあいさつした直後に揺れたそうです。校庭にまず避難して、町の体育館に移動しました。津波は小学校のすぐ近くまできました。 ―――警戒区域解除後、校庭の土をはいで、除染しました。数値は下がっています。ただ、校庭脇の側溝で線量計を見てください。ぐっと上がるでしょ。子供はこういう溝で隠れたりして遊ぶのが好きなんですが。 「こちらは~ 防災ぃ~ 富岡広報です~」と町内放送が鳴り響く。「町内への立ち入り時間は~、全ての区域とも、午後3時までとなっています~」などと聞こえる。ほかに、火気厳禁、ごみの分別などを伝えているという。