「熱意と敬意に動かされた」フォロワーは3倍に 「想像する1000倍ガチ」の和装が話題のインドネシア人
インドネシアの市場を探し歩き
さて、「最上腹巻」の復元に邁進し始めたrdanchoさん。頼りにしたのは日本からの一次情報、特に「EMAKI(絵巻)」でした。庶民の暮らしや町並み、戦いについて多くの情報が描かれていました。また愛好家たちの様々な日本の時代考証のブログも読みあさりました。 集めた情報をもとに、まず、3Dでデジタル空間に「最上腹巻」を復元しました。 そして、インドネシアの歴史愛好家の中で、外国の鎧を作ったことがある友人に「実際に作れる?」と相談。市場を巡って、鉄片や皮など材料を探し、何度も試作しました。 ちなみに、rdanchoさんが身につけている装束は「ほぼ現地(インドネシア)調達」と言います。インターネット通販で日本から買ったのは烏帽子などごくわずか。 着物やはかまは、「剣道」の人気が高いインドネシアでは剣道着を作る業者がいるので、特注したそうです。当時の硬い質感の布を市場で探して、自分で型染めを施しました。わらじも、日本から輸入した大正時代のわらじを参考にして作りました。 試行錯誤を、半年間重ねて、昨年、ついに納得のいく「最上腹巻」を〝復元〟させました。働いて貯めた約3万円を費やしました。
「不完全に見えることこそが」
当時の小柄な日本人に合わせて小さめの最上腹巻は、身長165センチのrdanchoさんが試着すると「ぴったり!」。実際に着ることで、想像以上に動きやすい物だったことが分かりました。 最上腹巻をつけて、素足にわらじを履いた写真をSNSにアップすると、日本人以外から「鎧は完璧なのに、なぜ足袋をはかないのか?」などと指摘されることがあります。 そんな時、rdanchoさんは「それこそが日本の歴史であり、私が日本の歴史に向き合っていることを象徴するものだから」と答えるそうです。 争いが絶えなかった室町時代、必死で生き延びていた村人たちは質素な身なりで、素足は当たり前、舗装されていない草が生えた道を歩くのに、この丈が実用的だったーー。当時の人々の暮らしを学ぶと見えてくるようになるそうです。 上半身裸で鎧のみを身につける時は、一瞬、恥ずかしさを感じたそうですが、〝現代人〟の感覚を捨てきれなかった自分を戒めたと言います。 「現代人が『こうあるべき』とイメージするものとは相反する〝不完全さ〟があることこそ、可能な限り本物に近い〝生〟の歴史を描くということ。日本の歴史は日本の歴史で、私たちが勝手に取捨選択してはいけないのです」