「熱意と敬意に動かされた」フォロワーは3倍に 「想像する1000倍ガチ」の和装が話題のインドネシア人
〝団長〟
どんな人なのでしょうか。〝インドネシア和装ニキ〟こと、rdancho(@RDancho)さんにインドネシア語でインタビューを申し込みました。 Zoomの画面越しに現れたのは、めがねをかけた真面目そうな青年。背後に映るホワイトボードに「しゅくだい」と手書きの字が見えます。 「今、大学の授業のほかに、プライベートで日本語の家庭教師に来てもらっているんです」 そう話し始めた彼のアカウント名、rdanchoの読み方は「エル・ダンチョウ」で、自分の名前の頭文字〝R〟と大好きな「団長」を合わせたそうです。 ジャカルタ在住の23歳、現在は有名私立大学の日本文学部で、日本の歴史や文化を勉強しています。
「日本の歴史を愛してしまったんです」
日本に興味を持ったのは、日系の建設コンサルタント企業で働く父の影響でした。幼い頃に買ってもらったのは忍者の人形。 インドネシアでは日本のアニメが人気でしたが、rdanchoさんが好んだのは「大河ドラマ」でした。小学生の時は、戦国時代を舞台に直江兼続を描いた「天地人」(妻夫木聡主演)を英語字幕で見て、夢中になりました。 戦国時代を舞台にしたゲームでも遊び、特に武士や忍者、「YOROI(よろい)」に魅了され、本を読みあさったそうです。「日本の歴史を愛してしまったんです」 アニメが好きな周りの友達には理解されませんでしたが、熱意はどんどん高まりました。 〝好き〟が高じて、鎧など歴史上の装束をデジタル上に3Dで描く技術を、独学で習得。その腕前が評判となり、欧米などからも戦国時代のモデルを描いてほしいと注文が来るほどになりました。
「ないのなら、作ってみよう」
そんなrdanchoさんには、憧れる鎧がありました。「最上腹巻(もがみはらまき)」です。 rdanchoさんは、「ちょっと語って良いですか?」と前置きして、これまで大河ドラマなどで多く描かれてきた戦国時代の鎧は、実は、戦国時代の終わりごろに登場した形で、最新の研究では、この最上腹巻が多く使われていたのだという説を熱弁してくれました。 「なので、私は歴史上、この〝最上腹巻〟が貴重だと思っているのですが、ほとんど現存しておらず、日本でも忘れられかけているのです」 そこでrdanchoさんは、こう思い立ったそうです。「ないのなら、作ってみよう」 筆者も恥ずかしながら、「最上腹巻」は初めて知ったため、所蔵している名古屋市の名古屋城調査研究センターの原史彦さんに「そんなに特別なのか?」と聞きました。 原さんは第一声で「相当マニアックな方ですね」と笑います。 通称〝最上胴〟と呼ばれる、山形地方で作られた鎧だそうです。小さな板=小札(こざね)を横に並べて、上下で紐でつなぐタイプで、源平合戦までに主流だった大鎧とは大きく形が変わりました。より利便性が高くなったものの、作るのに非常に手間がかかるため、戦国時代の後半では一枚の板を横に渡すタイプに変わっていくそうです。 「日本でも知っている人は限られていると思います」