夢は『カープ優勝の瞬間を実況すること』。大の鯉党・フジテレビ三宅正治アナが語る熱きカープ愛
フジテレビを代表するアナウンサーとしておなじみの三宅正治さんは、広島県出身で1975年の初優勝を知る、熱き鯉党。アナウンサーを目指すきっかけとなった秘話から、マスコットへの思いまで……カープ愛を大いに語ってもらった。 【写真】スラィリーが縁日ナイターをプロデュース! ◆「カープの優勝の瞬間は、どんな手を使ってでも実況したいです(笑)」 ─三宅さんは、熱狂的なカープファンとして知られています。 「私とカープの一番古い記憶が……幼稚園の頃です。旧広島市民球場で、試合前に幼稚園の子どもたちがカープ球団へ何かを贈呈するセレモニーがあったらしいのですが、そのとき初めてグラウンドに入りました。ここからもうカープファンです! もっとも強烈だったのは、やはり1975年の初優勝ですね。当時中学1年だったのですが、中国放送・上野隆紘アナウンサーの実況を何度も聞いていたんです。初優勝を決めた試合の上野アナの実況が、アナウンサーを目指すきっかけとなりました。自分の言葉で人に感動を与える仕事があるんだと認識して、『いつか自分もスポーツ実況をして、自分の生きた証として残すことができたら』と思ったんです」 ─カープが現在のアナウンサーというお仕事につながっているのですね! 「そうですね。それほどカープ初優勝というのは衝撃的でしたし、上野アナの実況がものすごく感動を与える実況だったんです。私がフジテレビの入社試験を受けたときに、1分程度の自己アピールの時間があったのですが、そのときにカープ初優勝の瞬間を実況して『こんなスポーツ実況アナウンサーになりたいです!』と言ったんです。そのおかげで今、この仕事に就いています(笑)」 ─ご家族もカープファンなのですか? 「妻もカープファンですし、子どももカープファンですし、小学生と幼稚園の孫がいるのですが、孫も赤いユニホームを着てカープを応援しています。三宅家は全員、カープファンです! もちろんプライベートでいつも観戦していますし、試合の動向は必ずチェックしています。試合が盛り上がると……早く寝なければいけないのに寝られないんですよ(笑)」 ─長くカープファンとして数々の名場面を見てこられてきて、三宅さんが忘れられない名場面を教えてください。 「1975年10月15日のカープ初優勝の瞬間が一番ですが、その年のオールスターゲームが忘れられないです。山本浩二さんと衣笠祥雄さんが2打席連続ホームランを打ったのですが、これは鮮明に覚えていて、『優勝間違いない!』と確信しました。あとは、25年ぶりの優勝を決めた2016年9月10日の試合(対巨人戦)です。東京ドームで生観戦していたのですが、西山喜久恵アナウンサー(広島県出身)と2人で泣いて喜びました。あの日『東京にこんなにカープファンがいるのか!』と思いましたね」 ─カープ戦の実況は、これまでご経験があるのでしょうか? 「『カープ優勝の瞬間を実況する』ということを入社してから夢として抱えていたのですが、まだ一度もないんです……。フジテレビの野球中継は神宮球場が多かったりするんです。1986年にカープが優勝した年、私は入社2年目で、神宮球場での優勝決定試合がフジテレビの中継だったんです。が、2年目の私は当然実況をできるはずもなく……現地で優勝の瞬間を見て泣いていました(笑)。もし今年、神宮球場でカープの優勝が決まる、そしてフジテレビの中継ということがあれば、どんな手を使ってでも実況したいです(笑)。副音声でも良いです。最後の優勝の瞬間だけ実況させていただいて……泣きます(笑)」 ─三宅さんにとって、カープはどんな存在と言えますか? 「私にとって、なくてはならない存在ですね。その昔、ドジャースのトミー・ラソーダ監督は『ドジャー・ブルーの血が流れている』という言葉を残していますが、私には、“カープの赤い血”が流れています(笑)。翌日早い時間からの勤務でも、やっぱりカープの試合は絶対に見たいですし、もっとカープファンを増やしたいなと思っています!」