夢は『カープ優勝の瞬間を実況すること』。大の鯉党・フジテレビ三宅正治アナが語る熱きカープ愛
◆長く愛されるカープ坊やはすごい ─『カープ坊や』は初優勝した1975年に誕生しています。当時を覚えていますか? 「カープ坊やの登場は覚えています。当時、プロ野球であまりマスコットがなかったように記憶しています。あの年カープは、カープ坊や登場のほか、帽子が赤に変わるなどいろんな変革がありましたよね」 ─最初に見たときの印象はいかがでしたか? 「正直、強烈なインパクトはなかったですが、マスコットができたことがうれしかったですね。考えてみれば、同じマスコットがこんなに長く続くとは思いませんでしたし、その事実がすごいことだと思います。カープ坊やのデザインは何年経っても、流行り廃りもないと思いますし、デザインした方はそこまで考えていたのか? と思ったりもします」 ─三宅さんにとって、カープ坊やはどんな存在ですか? 「誕生したときから見ているので、それが普通ですし、カープ坊やがついているグッズも多く、当たり前の存在です。これがなくなると困ります。スラィリーが誕生したときに『カープ坊やがなくなってしまうのか?』と一瞬思ったこともありました」 ─そのスラィリーが登場したとき、どう感じていましたか? 「最初に見たとき『これは、やっちゃったな……』と思いました(笑)。これは一体何なんだろう? と。でも、スラィリーは見事にキャラクターとして現在の地位を築き上げましたよね。ヒーローインタビューやいろんなところでパフォーマンスをして、スラィリーなりの努力でいろんなことを見せてくれるので、いつの間にか目が離せなくなっています。コミカルなことをやり続けていることで、ちびっこファンを呼び込んでいる効果も大いにあるのではないかと思います」 ─スポーツチームにおける、マスコットの存在意義をどう感じておられますか? 「ファン開拓が一番だと思います。マスコットの行動によってヒーローインタビューなども面白くなったりしますし、それを最後まで見て帰ろうというファンの方々もいると思います。もしかしたら『将来スラィリーのインタビューを受けるんだ』という子どもたちがいるかもしれません。長く活躍してほしいですし、カープ坊やグッズ、スラィリーグッズを買うために球場に行く、そういうファンの人たちがもっと増えてもいいと思います」 ─最後に、スラィリーにメッセージをお願いします! 「私は現在62歳になるのですが、還暦まで現役アナウンサーとして活動させていただきました。スラィリーには、最低でも還暦まで頑張って活動してほしいです! 今年で29周年、まだまだ若いです(笑)」 三宅正治・フジテレビアナウンサー みやけ まさはる/1962年11月15日生、広島県出身 1985年フジテレビ入社。長年第一線で活躍する同社を代表するアナウンサー。プロレス中継、競馬、F1、K-1、プロ野球、五輪など数々のスポーツ実況を担当。「すぽると」「ジャンクSPORTS」などスポーツ番組のMCも務め、バラエティ番組でも人気を博している。
広島アスリートマガジン編集部