穏やかな山容、だけれど「剣山」。その由来を紐解く山旅|山本晃市の温泉をめぐる日帰り山行記 Vol.4
なぜ「剣」? 四国剣山の由来をたどる。
「剣」と名のつく岳峰は日本各地にあり、「駒」についで多い。北アルプスの剱岳や中央アルプスの宝剣岳が有名どころか。剱岳は一般登山ルート最難関の山。宝剣岳は人ひとり立つのが精一杯といった小さな岩場を山頂とする。いずれも鋭い岩峰で、「剣」という名にふさわしい。 ではなぜ四国剣山は、「剣」の山と呼ばれるのか? 安徳天皇ゆかりの御剣を山頂に埋め、御神体としたことが由来だという。その言い伝えが、見ノ越(みのこし)の古刹、剣山円福寺に寺伝として残されている。 安徳天皇は、数え年8歳という幼い身で入水崩御した悲運の人。源平合戦壇ノ浦の戦いの際、三種の神器の草薙剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)とともに母方の祖母である二位尼(平時子)に抱かれ、「波の下の都、極楽浄土」へと旅立つ。天皇は小さな手を合わせ、祖母とともに壇ノ浦の冷たい海のなかへと吸い込まれていった。 『平家物語』の一節である。 だが先の寺伝では、安徳天皇は阿波国祖谷山(いややま)の地で生き延び、「清浄なる高山へ剣を納め守護すべし」との遺言を残したとされている。御剣は、遺言どおり剣山山頂に埋められた。 四国に数多ある平家落人伝説の如く、円福寺の寺伝もそのひとつなのかもしれないが……。 だがもうひとつ、剣山の由来として知られる理由があった。
国内有数の「水平志向」ルートを歩く。
剣山山頂へのルートはいくつかあるが、見ノ越(標高1、420m)の登山口から歩き始め、山頂を目指すのがポピュラーかつ最短のコース。さらに見ノ越から観光登山リフトを利用すれば、標高1、750mの西島駅までわずか15分でアクセスできる。ここから山頂までは、高度差200mほど。「水平志向」の山旅にうってつけのルートとなる。 西島駅と山頂を結ぶルートも複数ある。山名の由来をたどるなら、剣道コースを登り、遊歩道コースで西島駅へ戻るルートがおすすめだ。下の登山道案内図でいうと、往路は濃い青のライン、復路は黄色のラインとなる。 西島駅の前方、登山道入り口に鳥居が立つ。一礼して、さっそく歩き始める。緩斜面のシングルトラックがしばらく続き、周囲は緑に覆われている。シコクシラベやダケカンバといった亜寒帯植物が分布する剣山は、四国では珍しい植生を楽しめる。学術的にも貴重な植物の宝庫であり、名勝天然記念物に指定されている。 歩を進めること数十分、右手の視界が一気に開け、大劒神社に到着する。ここに山名の由来があるという。神社を守護するかのように、社の後方に巨石がそびえ立つ。ご神体の御塔石(おとうせき)だ。お参りするのも忘れ、思わず見入ってしまうが、これが剣? そうは見えない。なんだか釈然としない……。 お参りをしたあと、モヤモヤした気分を抱えながらも、また歩き始める。しばらく進むと、山頂直下に建つ剣山本宮宝蔵石神社の前に出る。安徳天皇をご祭神の一神とする由緒ある神社だ。かの御剣は、神社背後の巨石、宝蔵石のもとに納められているという。手を合わせ、山頂へと向かった。 宝蔵石神社と剣山頂上ヒュッテの間を抜けると、別世界が待っている。樹林帯が終わりを告げ、緑の絨毯が一面に広がる。遮るもののなにもない平原、白い雲を浮かべた青空へ吸い込まれるように散策路が続いている。進むのがもったいないほど心地よい。 そして、頂上三角点のある山頂へ。周囲を見渡せば、四方八方、どこまでも四国の山々が連なっている。条件がよければ、石鎚山も目にできる。穏やかな日和、「剣」とはかけ離れた安らかな景観に癒される。