堀ちえみ、5年に及ぶ「口腔がん」闘病の末に音楽活動再開「これからもっとしゃべり、もっと歌い、前を向いて生きようと思っている」
なぜ生き残ったのか、歌えないことに絶望
「この病気のいちばん怖い点は、発見がしづらいことだそうです。普段から舌の裏や頰の内側を見る人は少ないでしょうし、異変があっても口内炎と間違えやすい。私の場合も、早期発見できずに進行し、リンパ節に転移して重複がんも併発してしまいました。舌がんの手術後、食道がんの告知も受けたのです」 舌がんは進行すると、舌を大きく切り取らないといけないのだが、舌の有無はその後の生活に大きく影響する。 「舌先が残っていれば、食べたり飲んだりしゃべったりしやすいのですが、私は舌先を含めて6割超も切除し、太ももの組織を移植して再建しました。リンパ節や舌下腺も切除したため、唾液が出づらくなり、常に口の中がカラカラ。再建手術をしても神経は通っていないため、舌が思うように動かず、食事は飲み込みづらいし、うまくしゃべれない…。せっかく助けていただいた命なのに、“こんな状態でなぜ生き残ってしまったのか”と気分がふさぎました」 舌がんで舌を切除した場合、再建により形は整えられるが、思うように動かせなくなる。リハビリを行っても多くの場合、会話に障害が残り、味覚を失うケースもある。転移した場所によっては、あごや頰肉まで切除しなければならず、そうなると外見も変化する。術後の生活が大きく変わるため、“術後の自殺率が高いがん”といわれているほどだ。
名曲すら言えず、1曲歌えるまで1年
歌手なのに歌が歌えない――。堀の絶望は想像に難くない。どのように気持ちを立て直したのだろうか。 「いま思えばありがたいことなのですが、家族や周りの人たちが、なるべく早く仕事に復帰させようとしてくれたんです。当時は“どうして皆、こんなに早く社会復帰させようとするのかしら”と不思議だったのですが、次の目標に進ませないといけないと思われたのかもしれません」 手術は2019年2月22日、テレビ復帰は翌年1月。同年8月には『24時間テレビ43』(日本テレビ系)で、術後初の歌を披露することになった。 「リハビリは術後すぐから、さらに退院して約半年後にはボイストレーニングも始めたのですが、それぞれ思うように上達しない。“たちつてと”や“なにぬねの”“ざじずぜぞ”といった舌先を使う言葉がどうしても言いづらいんです。特に『つ』は、風を送って発音することができず、母音の『う』になってしまう。 そんなこともあるため、一音を母音と子音に分けて、一語一語ご指導いただき練習しました。なかでも“堀ちえみ”と言うのがとても難しくて、自分の名前すら言えないのかと、もどかしさと悔しさで涙することもありましたね」 それでも堀はあきらめなかった。家族や医師らの励ましと協力を受け、毎日リハビリを行い、ついには、代表曲『リ・ボ・ン』を歌えるようになった。この1曲を歌えるようになるまでに1年かかったが、それでも無事、『24時間テレビ』での披露を叶えたのだ。 「“歌う”という目標があったおかげで、気持ちが上向きになれました」 メディアに少しずつ出ることで自信もつき、2023年にはデビュー40周年記念ライブも開催。このときはなんと26曲を歌い切った。 「そのときそのときで最善を尽くしてライブに臨んでいますが、毎日欠かさずリハビリを続けているおかげで、いまは去年に比べてもっと完璧に近づけました。そう思えるのは、前進し続けているから。そして私が前を向けるのは家族や医師、そして応援してくれるファンの皆さんのおかげです」 病気になってよかったとはいまだに思えないものの、心は大分整理できたという。 「後悔をし始めると、“あのときこうしておけば”などと原因を探し始めて気分が落ちていくので、それはやめました。こうなったことには意味があると考え、私と同じような人をつくらないために体験談を公表し、1人でも多くの人のためになればいいと思っています。そうすれば私の闘病も無駄になりません。だからこれからもっとしゃべり、もっと歌い、前を向いて生きよう、と思っています」 今年2月、堀の舌がんは完治した。音楽活動も本格的に再開したいま、さらなる活躍が楽しみだ。 ◆歌手・タレント 堀ちえみ ほり・ちえみ/1967年大阪府生まれ。15才のとき『潮風の少女』でアイドル歌手デビュー。小泉今日子や中森明菜らと同期で「花の82年組」といわれた。1983年に大映ドラマ『スチュワーデス物語』(TBS系)で初主演し、一躍人気に。2019年、口腔がんのため芸能活動を休業して療養。2020年1月、芸能活動再開。新曲『FUWARI』発売中。 取材・文/土田由佳 ※女性セブン2024年12月19日号