“親ガチャ”にはずれた少年が星をつかむまで:パティシエ元世界王者の実話を映画化した『パリ・ブレスト 夢をかなえたスイーツ』
細部にこだわり製作に参加
ところが映画化の話が舞い込んできても、最初は興味を引かれなかったという。 「映画では原作から情報を足したり引いたりするのが常ですよね。私はその足し引きがいやでした。語るべきことを正しく語る必要があると考えた。そこで共同プロデューサーとして製作に加わることを条件に、企画にOKを出したのです。撮影現場に毎日足を運び、陣頭で指揮をしました。こうして、実際に私に起きたことに忠実な物語となったのです」 菓子作りの場面も自ら監修した。スイーツ好きなら胸を躍らすであろう、この映画の見どころの1つだ。イシュムラエン氏は「細部が完璧さを生み、完璧さは細部(些細なこと)ではない」というレオナルド・ダヴィンチの言葉を好んで引用する。 「この映画の価値は、完璧さの追求にあります。ダヴィンチのこの言葉は、映画作りと菓子作り、両方に当てはまるでしょう。これは人生の価値についても言えます。完璧さを求めるとき、結局物を言うのはいくつものディテールです。人生で重要なのは、完璧さに到達するのが難しいとしても、進歩を重ね、小さな自己ベストを更新していくことなんです」
人生を成功に導くのは責任と忍耐
物語の舞台の1つ、エペルネーは彼が生まれ育った町で、シャンパンの産地として知られる。若きヤジッドはここから電車で2時間以上かけて、パリの三ツ星レストランへ修行に通った。故郷で行われた映画のプレミア上映には、里親一家をはじめ、親しい人々が集まり祝福してくれたという。 ―観客の1人として、どんな思いで映画を観ましたか? 「昔を思い出して切なくなり、入り混じった感情が胸に押し寄せてきました。いくつかのシーンはあまりにリアルで、涙をこらえられなかったほどです」 ―映画を観ると、若い頃の数年間がその後の人生を決定づけたことが分かります。 「私が初めてシェフパティシエになったのは19歳でした。有名シェフのいる三ツ星レストランです。まだシェフになるには技術的にも人間的にも未熟でした。でもシェフらしく堂々と振る舞った。そのせいで人の3倍は苦しみましたが、それが功を奏したのです」 ―その後4年で世界王者になるのも異例のスピードですね。 「初めて出場したのは21歳でした。まだ早いのは分かっていましたが、思い切って挑戦しました。こうしたことすべて、実現できたのは私が責任を引き受けたからです。責任は与えられるものではない、自ら引き受けるものだ、これは私の人生訓です。これまでの人生、ずっとそうしてきました。扉を押し開け、人に会いに行き、自分を変え、自分を超え、入りたい世界に入るためにできることは何でもした。これが私のライフストーリーを作っているのです。大いなる力には大いなる責任が伴う。これはスパイダーマンのセリフだったかな(笑)」 ―つらい経験をポジティブな結果に変えることができた一番の力は何だったのですか? 「何より忍耐強さです。私の人生はジェットコースターでした。数えきれない失敗があった。それでも粘り強く続けました。私が実際にしてきた失敗は、映画に描かれているより100倍は多いでしょう」 ―世界王者になって、実業家としても活躍していますよね? 「現在、私の店は世界に10ほどありますが、閉めた店もたくさんあります。もしすべて成功していたら、店の数は200に達していたでしょう。たまたまうまくいくことなんてありません。10回のうち8回失敗しても、2回成功すればいい。8回の失敗が教訓として生き、残る2回が輝かしいものになるんです。またうまいこと言っちゃったかな(笑)」 ―失敗を恐れることはないですか? 「ないです。失敗をたくさんして、それを糧にすることを学んできたから。でも恐れるのは良いことです。それは謙虚さの表れです。うまくいくように、より慎重に準備することになる。ただし、恐れるあまり、身動きが取れないようではいけません。最後には何とかなる。健康な体があって、生きている限りは」 ―でも現実は、多くの若者が途中で夢をあきらめてしまいます。あなたはどうして忍耐強く続けられたのですか? 「私は幼少期にたくさん苦しみました。だから何としてでも成功したかった。母はよく酒を飲み、酔うと私と妹をけなしました。母親から悪く言われたら、自己評価の低い人間か、自我の強い人間に育つ。幸い私は後者でした。後で見ていろよと思えたんです。おかげで、常に物事をもっと良くしようと努力する習慣がつきました。かなり極端ですが、自分が叶えたい夢を全部リストにしたんです。私はまだ32歳ですが、それをすべてかなえてしまった。だから明日死んでも悔いはないんです(笑)」 ―もう夢はないですか? 「もちろんありますよ。今の夢はビジネスです。世界中に店を開くこと。私は毎朝、何かすごいことをやっているという特別な気持ちで目覚めたい。やりたいのは、ただお菓子を売って、お金を稼ぐことではありません。私が取り組んでいるのは、人が関わり、人の役に立つプロジェクトです。お菓子作りとは、技能と文化を受け継ぎ、伝えていくことです。味、スタイル、愛情、情熱を伝えることでもあります。世界中でたくさんの人々に出会う。これは素晴らしい体験です」