『ピーウィーの大冒険』新人監督バートンと奇天烈キャラが巻き起こした化学反応
自ずと沁み出すバートンらしさ
かくも雇われ監督のような状況がそこにはあったわけだが、しかし、だからといってバートンが手を抜くことはいっさいない。むしろ与えられた枠内が、気付くと”バートン世界”にすっかり染まっているのが本作の面白いところ。すでに脚本が出来上がっていたのでストーリー的にバートンが何かを創造したわけではないものの、脚本を具現化する過程で、その都度、監督色が発揮されていくのは当然のことだ。とりわけバートンらしさは、「奪われた愛車(自転車)を探すロードムービー」という基本軸の細部へと意欲的に散りばめられていった。 たとえば序盤では、ベッドで目を覚ましたピーウィーが朝の支度をする場面があり、機械仕掛けで次々と装置が起動して朝食を作り上げていく過程が目と心を惹きつける。バートン作品の文脈で言うなら、実写短編版『フランケンウィニー』で亡くなった愛犬を蘇らせようと、少年が科学を駆使してあれこれ試行錯誤する場面にも通じるものがあるし、後年、『シザーハンズ』(90)や『チャーリーとチョコレート工場』(05)に登場するオートメーションで次々と何かが形作られていく様にも通じるものを感じる。 また、中盤では女性トラック運転手が「あっ!」というようなタイミングでストップモーションアニメによって化け物へと変貌する驚きの趣向が挟み込まれたりと、やはりバートンの創造性やそれを形にするアイデアと技術と力量は尽きることがない。 さらには撮影所のサウンドステージで巻き起こるクライマックスは、まるで映画賛歌のような高揚感でいっぱい。その中にはバートンが大好きな日本の怪獣映画へのオマージュ的な撮影現場が登場したりもして、ある意味ではバートンの脳内に広がる創造世界をノンストップで駆け抜けていくかのような感慨に浸れる。
長編デビュー作がもたらした成功体験
総じて本作は、監督として求められたものに対して、バートンがそれを遥かに高いレベルで返すことのできる優れた人材であることを証明する、絶好のプレゼンテーションの機会だったと言える。 そして、本作が後年のバートン作品に何らかの影響を与えているのは間違いない。ピーウィーは既存のキャラクターではあるものの、他者が容易には入り込めない独自の世界を持ったアウトサイダーというところも含めて、後年のバートン作品のキャラたちにどことなく通じる面を併せ持つ。一つの奇妙奇天烈なキャラを、長編映画でいかに飽きさせず、観客の興味を持続させながら魅力的に描きあげるかという点において、おそらく『ピーウィーの大冒険』は有意義な学びの場となったのではないだろうか。 結果的に『ピーウィーの大冒険』は700万ドルの製作費で4,000万ドルの興収を叩き出した。その反面、批評的には賛否両論だったそうで、これによってバートンは傷ついて落ち込むわけでも、逆に天狗になることもなく、むしろ彼の目線は次へ次へと意欲的に向かっていった。 どんな天才監督でも、自らの才能を花開かせる上では、内容のみならず、それを発露させるにふさわしい時と場が重要だ。バートンはこの長編1作目において全ての条件が奇跡的にマッチしていたからこそ、気負いなく効果的なスタートを切ることができた。このある種の成功体験があってこそ、『ビートルジュース』(88)、『バットマン』(89)、さらには『シザーハンズ』へと連なる初期キャリアが、アイデアと芸術性を発露させながら果敢に切り開かれていったのである。 参考資料: ・「ティム・バートン 映画作家が自身を語る」(2011年/フィルムアート社)マーク・ソールズベリー著 遠山純生訳 ・「ティム・バートン 鬼才と呼ばれる映画監督の名作と奇妙な物語」(2019年/玄光社)イアン・ネイサン著 富永和子、富永晶子訳 ・『ピーウィーの大冒険』DVD(ワーナー・ブラザーズ ホームエンタテインメント)音声解説 文:牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU 1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。 (c)Photofest / Getty Images
牛津厚信