いじめられっ子から“いじられキャラ”に…秘蔵写真と振り返る、タレント・井上咲楽の過去
バレー部で「おもしろ部員」というポジションに
<部活の合間に初めて食べたコンビニのおにぎり> バレー部の活動は他の部活と比べてもハードで、放課後はもちろん、朝練、昼練、夜練、土日の練習試合……と、1日のほとんどを部員と過ごした。おかげで私は、いい意味でその空気感に飲み込まれていった。 バレー部でよく覚えているのは、ある日の練習試合の前のこと。 みんなでコンビニのおにぎりを食べる機会があった。人生で一度もコンビニおにぎりを食べたことがなかった私は、パッケージの開け方がわからず、部員の子に聞いてみた。すると、その子はものすごく驚いてすぐに部員のみんなに共有し、全員に笑われた。 その後も世間的には常識だけど、私にとっては新鮮に感じることが何度か続き、気づいたらバレー部の中で「おもしろ部員」というポジションになっていた。 「これを知らないなんてどうやって生きてきたのよ!」と、ただ笑われているだけなのだが、普通に生きているだけで笑ってもらえるので「自分はもしかして面白いのでは……?」と勘違いが生まれ、部活に行くことがどんどん楽しくなっていった。 <キャラ変、いじり倒される人になっていった> 中学校入学の時に、小学校の先生のご指名で私が「新入生代表挨拶」をすることになり、その印象でクラスの学級委員長もやることになった。おそらく周りのみんなは「パッとしないけど、あいつでいいか。代表挨拶していたし」くらいにしか思っていなかったと思うけれど。 適当に選ばれた学級委員長の私、そしてバレー部のおもしろ部員としての私。 この2つが噛み合わさったことで、中学生の私はいわゆる「キャラ変」をしたのだと思う。同じ小学校出身の同級生からも「井上って明るくなったよね。そんなキャラだったっけ?」と相当驚かれたくらいだ。 バレー部の部員がクラスでも私のことをいじるようになると、他の同級生も私のことを「いじっていい人」と認識して、いじり倒してくるようになった。 授業中、私が寝てしまっていると、先生からも怒られるというよりいじられた。 そして部活ではいろんな先生のモノマネをリクエストされて、それがそこそこウケた。理科の井野先生の低いトーンで実験を説明するモノマネ、他校のバレー部の三浦先生のちょっと鼻にかかった指導など、身内ネタだがみんなが笑ってくれた。 練習試合のお昼休憩の時に監督に呼び出され、試合に出てもいないのに他校の先生の前でモノマネを披露することさえあった。 バレー部時代の写真を見ると、ほとんど私が中心でいじられているような写真ばかりだ。
太すぎる眉毛の存在にものすごく救われてきた
<人生の転機はいつも“眉毛”が助けてくれた> 最初は遠慮しながらという感じだった同級生も、馴染んできたら私の特徴的な太い眉毛をとことんいじってきてくれた。 芸能界に入ってからよく「眉毛でいじめられたことってないんですか?」と聞かれるようになったが、人生において眉毛が原因でいじめにあったことはない。むしろ人生の転機では、いつも眉毛に助けられている。 今も昔も、モテたいとか、憧れられたいとか、そういうことよりも、いじられたいという欲のほうが圧倒的に強い私は、太すぎる眉毛の存在にものすごく救われてきたのだ。
井上 咲楽