いじめられっ子から“いじられキャラ”に…秘蔵写真と振り返る、タレント・井上咲楽の過去
『新婚さんいらっしゃい!』を始め、数多くの情報番組やバラエティ番組で活躍する井上咲楽。「笑顔で明るくいつも元気」なイメージの彼女が、人知れず抱えてきた「ブレイクまでの苦悩」や「自己肯定感の低さ」、「不安」や「生きづらさ」について綴ったエッセイ『じんせい手帖』(徳間書店)が11月に発売された。 【写真】5歳から、写真で振り返る井上咲楽の半生 内気でいじめられっ子だった小学校時代から“いじられキャラ”へと変わっていった中学時代、芸能界との両立がうまくいかずに精神的なバランスが取れずにいた高校時代。親友との絶縁……本の中で明かした25年の半生を特別編集。新たに公開する秘蔵写真とともに振り返る。(全5回の3回目) * * * <内気で人見知り、でも主張は曲げない> 小学生の私は内気で人見知り、なのに頑固だった。 じゃんけんをして勝った人から好きな席を選べるという方法での席替えの時、クラスのカースト上位の女の子が「私たちはここら辺がいいな」とナワバリを周囲にアピールしていた。私は「正当にじゃんけん勝った人から選べばいい」という気持ちが強かったので、早々にじゃんけんに勝つと、その女の子たちがアピールしていた席を、一見遠慮がちに、だが頑固な気持ちで選んだ。 それからというもの、その女の子たちには口を聞いてもらえなかったし、トイレに閉じ込められたりもした。小学生の頃は典型的ないじめられっ子だった。 <中学で性格ががらっと変わっていく私> 内気で人見知りだった私の性格が、明らかに変わったと言われる節目がいくつかある。 最初の節目は中学1年生の頃だろう。きっかけはバレーボール部に入ったことだった。 それまでやっていた習い事は空手とそろばんという、基本的にどちらも個人競技で、団体戦は不得意だった。 ものづくりが好きだったので美術部に入ろうかと思っていたところ、「バレー部に入らない?」と同じクラスの子に声をかけてもらって、入部することになった。 今考えてみると、私がパッとしなくて押しに弱そうだから声をかけやすかったのかもしれない。 それでも、小学生の頃に唯一仲良かった子は卓球の強豪校に進学し、1人ぼっちで不安だったところで声をかけてもらえて、うれしくて仕方なかったのだ。 それに加えて、友だちにものすごく必要とされる経験がなかったので、「お願い!」と懇願されたことが気持ちよかったのもある。 親は、場の空気を読むことが苦手でトラブルばかり起こしていた協調性のない私が、チーム戦のバレー部に入ることに驚いていた。でも、母は自分が学生時代にバレー部だったこともあり、結果的にはうれしそうにしていた。