宮川大助・花子「ようやく“夫婦”になれた」 血液のがんで闘病生活を送る花子さん 食事・排泄など献身的に介護する大助さん 2人で漫才の舞台へ「夫には感謝で胸いっぱい」
今年、コンビ結成45年を迎える夫婦漫才コンビ『宮川大助・花子』。花子さんは2019年、血液のがんの一種『多発性骨髄腫』であることを公表しました。そんな花子さんを明るく笑顔で支えているのが夫・大助さん。自らも病を抱えながら献身的に花子さんを介護します。そうした中でも漫才の舞台に立つ2人に密着しました。 【写真を見る】『多発性骨髄腫』を発症した妻・花子さんを介護する大助さん 自らも脊柱管狭窄症を患う
花子さんは『多発性骨髄腫』で入退院を繰り返す 大助さん「家で1人はすごく寂しい」
今年6月10日、取材班は奈良県生駒市にある一軒の家へ。迎え入れてくれたのは、夫婦漫才コンビ、宮川大助・花子の大助さん(74)です。 (宮川大助さん)「ちょっとごめんな、脊柱管狭窄症と椎間板ヘルニアで膝がまっすぐ伸びへんねん」 体の不調を抱える大助さんですが、一番の気掛かりは妻・花子さん(69)の体調です。自宅には、一緒に暮らしている花子さんの姿がありません。抗がん剤の副作用のため入院していました。 (大助さん)「寂しいですよ。女房が病気で入院して、家で1人でずっといるというのはね。ものすごく寂しい」 2019年に、完治が難しいと言われる血液のがんの一種「多発性骨髄腫」であることを公表した花子さん。以来、自分だけの力で歩くのは困難になりました。入退院を繰り返しながら、舞台に戻るため、闘病・リハビリに励んでいました。 病気の影響で現在は車椅子での移動が必要となっていますが、大助さんはそんな花子さんを明るく笑顔で支えます。退院を迎えたこの日、大助さんは、車椅子移動となった花子さんを思い、今まで乗っていた車を売って買い換えた介護車両で、退院する花子さんを迎えに行きました。
『私は幸せもんやで』忘れられない花子さんの言葉…「まだそんな言葉聞きたくない」
大助さんと花子さんは、退院の11日後に舞台出演を控えています。車に乗った花子さん、約2週間ぶりの我が家へ。 (大助さん)「はい、おかえりなさいー!」 (花子さん)「ただいま!帰りました!ウソみたい。ウソみたい、ほんま」 明るく振る舞う花子さんですが、以前、こんな本音を漏らしていたといいます。 (大助さん)「時々、『生きるってつらいな』って、ぼそっと言ったことがあります。それで僕が悲しそうな顔をして、それを見た嫁はんは、それから口に出さなくなりましたね」 病気を発症してから約6年間、大助さんは介護を続けています。大きな手で小さい包丁を使い、朝ごはんの準備もします。 (花子さん)「きょうもモーニングをうちの夫くんが作ってくれました。ありがとうございます」 大助さんは食事の世話以外にも、花子さんの生活をバックアップ。自分でトイレに行けない花子さんは尿道にカテーテル、便はオムツに排泄しています。日常生活のほとんどで介護が必要な花子さん。週3日間は、訪問看護師とヘルパーに力を借りて入浴やリハビリをしています。ですが、残りの4日間と朝・夜は、大助さんが介護を担っています。自分の腰の調子がよくない大助さんですが、車椅子への乗り降りも2人で協力しながら行います。 しかし、2人はぶつかり合いこともあるといいます。 (大助さん)「(Q介護でイライラしたりとかはないですか?)あるよ。僕がイラつく前に嫁はんが薬のせいでイラついたりとか。僕も腰痛抱えているからイラついたりとか。つかみ合いのけんかはしませんけど、『ええ加減にせいホンマに』『何を言うとんねん』みたいなものはしょっちゅう起こりますね」 イライラすることはあっても、大助さんは献身的に花子さんを支えます。花子さんも大助さんの愛情を受け止め、11日後に控えた舞台に上がる決意をしました。大助さんには今でも忘れられない花子さんの言葉があります。 (大助さん)「『私は幸せもんやで』と言った。でもね、まだそんな言葉聞きたくないですよね。もうちょっと夫婦で無茶もやってみたいですね」