女優・南沢奈央を「ぞくり」とさせた“ある翻訳家”の仕事…シェイクスピア作品の翻訳をめぐる裏話
その興奮が収まらぬまま手に取った、翻訳家の松岡和子さんの人生を追ったノンフィクション。プロローグの一文に、早くも納得、そして脱帽した。 〈シェイクスピア作品が松岡訳で上演されるたびに翻訳を見直し、アップデートし、常に「最善のもの」を残しておこうとする努力を続ける〉。 たしかに今回の舞台に関する記事を読んでいくと、「新訳」とあった。今回も見直し、「最善のもの」に仕上げたから、台詞が変わっていたのだ。完成された台本を受け取る段階から始まる俳優としては、その制作過程は想像もしなかった。松岡さんの翻訳台本はすでにあるわけだからそれで成立はするはず、と考えてしまっていた自分の浅はかさに恥じ入る。 しかも、28年という長い年月をかけてシェイクスピア全37作翻訳を果たしたのにもかかわらず、その努力を続けているのだ。それがゴールになってもおかしくないほどの偉業を成してもまだ、松岡さんはベストを目指す。御年82歳になっても、自分の翻訳を絶対の正解にはしない。時代に合わせて、さらに演出家や俳優からの刺激を受けて変化していくことのできる柔軟性と向上心、好奇心――。生い立ちから現在に至るまでに触れると、こんなふうにわたしも仕事に臨みたいと思わされると同時に、こうやって年を重ねていきたいと思える生き方をされているのだ。
ここまでの熱を持ち続けられているということは、さぞかし昔からシェイクスピアが好きだったんだろうと思ったが、ちがう。本書の題『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』にあるように、読んだり勉強するたびに、その難解さに逃げてきたのだった。だからシェイクスピアを訳すなんていう想いは全くなかったのだとか。 そんな流れで、いかにしてシェイクスピアにのめり込んでいったのか、全作翻訳に至るのか、その過程も見どころだが、シェイクスピア作品翻訳の裏話は非常に読み応えがある。 日本語訳がすでにある中で新たに訳す意味を考え、原文の解釈からし直していく作業は〈果てしのない旅〉だけど、それは〈シェイクスピアの追体験〉にもなっていく。 『ハムレット』の有名な台詞「To be, or not to be, that is the question.」では、この独白のあいだ、主語に一人称単数が使われていないことに気付き、その意味を考える。また、この台詞、「生きるべきか、死ぬべきか」というのがイメージにあるが、実際はこの先まで「死」という単語は使われていない。 だから松岡さんは「死」という言葉を使わずに、自分ではなく人類存亡の意を込めて訳した。「生きてこうあるか、消えてなくなるか、それが問題だ」――そう本書にはあるが、これはおそらく1996年に全集を出版した際のもの。わたしが5年前に上演した際は「生きてとどまるか、消えてなくなるか」だった。ここでもアップデートされていたことを知って、ぞくりとする。さらに、直近の『ハムレットQ1』では、「それが問題だ」の部分が、「そう、それが肝心だ」になっていた。 古典作品に敬意を持ったうえであえて変化させ続けることで、現代でも“生きた作品”となる。松岡さんはそれを証明してくれている。 この人と共演してみたい、この人の演出を受けてみたい。そう思ったことはあるが、この人の翻訳で台詞を言ってみたい、と思ったのは初めてだ。俳優としての今後の一つの目標を見つけることができた。
新潮社