ヘアスタイルで記憶する日本政治史【山本浩之アナコラム】
【ヤマヒロのぴかッと金曜日】 「あれはいつの事だったかな」と思い返すとき、みな自分なりに分かりやすいよう時期ごとに区切って記憶を呼び起こす。年齢で分けるなら20代、30代、40代。転勤の多かった人なら神戸、広島、博多に赴任した頃などと勤務地ごとに分けるだろう。野球選手でも多球団を渡り歩けば阪神、南海、近鉄、阪急(懐かし~い)。 私の場合は人とはちょっと違ってて、カツラをかぶっていた29歳から35歳までがヅラ期。それ以前はヅラ前、36歳から今日までがヅラ後。『ヅラ前、ヅラ期、ヅラ後』。こうして分けておくと、世の中の出来事がいつ起きたのか整理しやすい。他人が聞いてもまったくピンとこないだろうが、例えばこんな感じで整理してみる。 あれは1993年。ヅラ期に入って3年目の夏、日本政治史にとって大きな出来事があった。リクルート事件に端を発した政治腐敗で国民の政治不信は頂点に達し、自民党分裂。7月の総選挙で40年近く続いた自民党による一党支配は終焉(しゅうえん)した。暑い中ヅラを乗せたまま毎日取材で走り回っていたなあ。 自民を飛び出した旧経世会の主なメンバーが結成したのが新生党で、日本新党、新党さきがけ、社会党などと非自民連立政権を樹立、その中心にいたのが小沢一郎である。そして細川護熙政権の下での政治改革法案の採決を巡って自民党を離党し新生党に参加したのが、石破茂。共に田中角栄を師と仰ぐ2人だが、石破は新進党まで行動を共にするも小沢に愛想を尽かし、97年自民党に復党する。ヅラ期最後の年だった。(ちなみに私がヅラを取ったのは翌98年1月のこと。知らんがな) 小沢は数々の離合集散、紆余(うよ)曲折を経て09年の政権交代で与党民主党の幹事長として栄華を誇る(この時期、私もあることで小沢大幹事長を批判しSNSで炎上した。それはまた別の回で)も長続きはせず政権の座も再び自民党へ。ヅラ後に入って14年が経過していた。 この年、安倍晋三との総裁選に敗れた石破は初めこそ幹事長ポストを与えられるも、その後は徐々に中枢から外され無役の日々が続いた。そして昨年末明るみに出た『裏金事件』(ヅラ後25年)で自民党は窮地に陥り岸田内閣は退陣。先月の総裁選でついに首相の座を射止めた石破は、組閣・党役員人事で徹底的に旧安倍派を干しあげたばかりか、総選挙の公認問題でも厳しく対応したのは周知の事実である。 党内の不穏分子を黙らせるには選挙で勝つしかない。そこに立ちはだかるのが、恩讐(おんしゅう)を超えて野田立憲民主党の選挙対策本部長代行に就任した小沢一郎、82歳。限られた時間の中で野党を一本化出来るか。衆院選公示は4日後である。(敬称略)(元関西テレビアナウンサー) ◇山本浩之(やまもと・ひろゆき)1962年3月16日生まれ。大阪府出身。龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。趣味は自家菜園。