富山港線はなぜ「日本初のLRT」になりえたのか 2006年に路面電車化、鉄道路線として開業100年 紆余曲折の歴史
■約77年ぶりに運営が「里帰り」 このとき富山ライトレールは富山地方鉄道と合併し、富山港線は約77年ぶりに富山地方鉄道の路線に戻った。車両形式もTLRが取れて0600形となった。日本のLRTの代名詞的存在だった富山ライトレールという名前を、あっさり手放したことに驚かされた。 よって表面上はLRTらしさが薄れたような感じもするが、実際は環状線も低床車両、バリアフリー、トータルデザイン、インファンド工法が導入されており、市内電車では低床車両T100形への置き換えが進むなど、LRTの考え方は着実に浸透している。
では南北接続後、富山港線の利用者に動きはあったのだろうか。富山地方鉄道鉄軌道部営業課に尋ねたところ、「富山市が公表している『路面電車南北接続による効果について』に参考となる数字があります」と回答を得たので、早速目を通してみた。 そこでは新型コロナウイルス感染症流行直前の2019年と、3年後の2022年を比較しており、市内電車の利用者がコロナ禍もあって減少しているのに対し、富山港線は平日、休日ともに増えており、南北接続が効果を発揮していることがわかる。
■南北接続の効果 富山港線の電車がすべて市内電車に直通するのに対して、市内電車は富山駅止まりが多いことも関係していそうだが、環状線が走る市の中心部まで乗り換えなしで行けるようになったことが大きそうだ。 南北を跨いだ利用者を駅・電停別に調べたデータもあり、富山港線では平日では乗車・降車ともにまんべんなく増えているのに対して、休日は特に終点の岩瀬浜駅や1つ手前の競輪場前駅の伸びが大きい。 東岩瀬―岩瀬浜駅周辺は、江戸時代から明治時代にかけて北前船の寄港地として栄えた頃の街並みが残っており、観光スポットとなっている。公共交通では富山港線と並行する富岩運河を航行する富岩水上ラインでもアクセスできるが、後者では富山駅側の環水公園と岩瀬カナル会館の間の乗船券に富山港線の片道乗車券がついており、1枚のチケットで2種類の乗り物が楽しめる。