「他人に理解してもらえない」と悩む人必見!自分にとって居心地のいい場所の見つけ方
誰にとっても厄介な人生を軽く生きるにはどうすればいいのか。自分にとって居心地の良い場所をどう見つければいいのか。 【画像】養老孟司が教える自分にとって居心地のいい場所の見つけ方 『バカの壁』『死の壁』など「壁」シリーズがベストセラーとなっている著者の養老孟司さん(東京大学名誉教授・解剖学者)は、最新刊の『人生の壁』(新潮新書)を制作中に肺がんが見つかり治療。 その経験を経て人生がどう変わったのか。 著書『人生の壁』(新潮新書)から一部抜粋・再編集して紹介する。
わかってもらうことを期待しない
他人に理解してもらえないことで悩む人もいます。家族や友人、会社や組織の同僚に理解してもらえない。その悩みのもとには、無理な期待があるのではないでしょうか。 自分のすべて、全人格を理解してもらうのが無理だというのは誰にでもわかることです。そして理解してもらう必要があることと、必要がないことがある。 では何を理解してもらえないか、理解してもらいたいと思っているのか。そこが本来の問題になります。 しかしそれを突き詰めて考えたところで、相手がどう考えるのかはわかりません。どうせわからないことなのだから、そもそもわかってもらうことは最初からあきらめたほうがいい、と私は思っています。 家族が俺のことを理解してくれない、会社が私のことを理解してくれない。そんなことを不満に思った時には、裏返しで考えてみればいいのです。では自分は相手のことを理解しているのか。 完全に理解なんかしているはずがありません。理解できるわけもない。理解してもらえないという不満を抱く前提には、他者や組織が自分のことを理解してくれるはずだ、してほしいという希望か願望があるのです。 しかしこれがまったくの間違いです。他者の無理解というのは今に始まったことではない。それでは不安になるかもしれません。では誰が一体、自分という存在を受け入れてくれるというのか。 それを保障するのが、本来は外部的なものだったのです。つまり共同体であり、家であった。 理解してもらえようがもらえまいが、共同体の中で役割があり、家のなかでしきたりがあった。死ねば同じ墓に入るのが当たり前でした。本来は無条件で自分を引き受けてくれる装置として共同体や家が機能していたわけです。 相手のことがわかっていてもわかっていなくても、こいつと一緒にやっていくしかない、ということが当たり前に受け入れられていた。夫婦も結局はそういう取り決めでしょう。 もちろん、相手に理解してもらえる、共感してもらえるというのはとても嬉しいことでしょう。でもそれはなぜ嬉しいのか。わかってもらえない、理解してもらえない、共感してもらえないのが前提だからこそ嬉しいのです。 いつも理解してもらえて共感してもらえるのならば、そんなに喜びは感じられません。他人は自分をわかってくれないものだと思っていれば、少しでもわかってもらえた時に嬉しいでしょう。 講演で多くの人に向かってお話をしてきましたが、私自身は何かをわかってもらえるといった期待はしていません。相手がどのように受け止めるかとか、真意が伝わったのかといったことは考えないようにしています。 声が小さいのを何とかしようとか、滑舌に気を付けようといったことは考えますが、それ以上のことはこちらがあれこれ考えても仕方がない。 原稿を書くにあたっても、読者にわかってもらいたいという気持ちがないわけではありません。しかし実のところ、独り言に近い。一人でぶつぶつ言ったり、くそーと叫んだりしているようなものです。 私から見れば、他人に理解してもらえると勝手に期待して、勝手に失望して、落ち込んだり悩んだりするのは変なことです。 自分のことをわかってほしいと話しに来る方もいらっしゃいます。つきあうこともあるのですが、私はそこで聞いた話をたいてい覚えていません。 ある時は一時間にわたって体の具合が悪いという話をしていた人もいました。しばらくは聞かざるをえません。それで一時間ほど辛抱して聞いたうえで、「あなたは今日、最初から最後まで自分の話しかしていませんよ」と言って終わりにしました。 私の書いたことや話したことから、「先生は私のことがわかってくれている」というような声をくださる方もいます。他の人が言わないようなことを書いているからでしょうか。気に入ってくださるのはありがたいことではあるのだけれども、全体としては、かなり誤解があるのではないかと思うのです。 基本的に自分の都合を主張することをとうの昔にやめているので、あまり他人にわかってもらう必要がない。だからといって、誰とでも平等に接することはできない。他人とつきあうにあたって気になるのは、むしろ疲れるかどうかということでしょうか。 相手に無理やり反応を求めるといった人は疲れます。いちいち何かを聞いてくる。もちろん私とは合わないAさんでも、別のBさんとはものすごく合うことはあります。 日常で大事なのは、合うかどうか。夫婦でその相性が悪いと大変でしょう。それは上司と部下、教師と生徒、医者と患者なども同じで、人間関係をうまく続けられるかは、そこが根本になってきます。 なぜかこの人と一緒だと落ち着かないというようなことがある。そうすると日常が安定しないのです。 しかし合わないのは別に自分のせいではありません。また、誰とでもわかりあえるなどと過剰な期待もしないほうがいいでしょう。 養老孟司 1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業。専攻は解剖学。東京大学名誉教授、京都国際マンガミュージアム名誉館長。1989年、『からだの見方』(筑摩書房)で、サントリー学芸賞受賞。ほかに、『唯脳論』(青土社/ちくま学芸文庫)、『バカの壁』(新潮新書、毎日出版文化賞受賞)、『養老孟司の大言論(全3巻)』(新潮文庫)、『遺言。』(新潮新書)『バカのものさし』(扶桑社文庫)、『ものがわかるということ』(祥伝社)など多数。
養老孟司